オーガニック料理
料理のレシピなんてものは、所詮、人間が考えたものですから、そのまま全てを鵜呑みにしてはいけません。

それではどうすればよいかというと、野菜の神様に聞くのが一番いいのです。オーガニックの料理は、一般的な料理のように、化学調味料で味をたしませんので本当は味付けが難しいのです。繊細な塩加減と調味料のバランスが必要ですから、自分で料理しようなんて思ったら、とても美味しい料理はできないのです。自分が料理を作るのではなく、野菜自身に美味しくなってもらうのです。そのためには、野菜の神様の 声を聞かなくてはいけません。

オーガニックの料理人の中には、野菜の神様と対話していない人が多いのです。自分で 野菜を料理してやろうなんて思っている。だからオーガニックの料理は、美味しくないところが多いのです。うちの料理が美味しい と言っていただけるのは、そういうことなのです。なんとなくこれぐらいかなーと塩をふる。今かなーと、火を止める。料理は、野菜の神様の声を聞くことが必要です。そうすると野菜は、 人間の体と心を最高に健康で幸せにする 素晴らしい料理になってくれるのです。
| 今日このごろ | 13:05 | comments(0) | - | pookmark |
知っている症候群(2)

確かに、この世の中には、悪が存在するのも事実です。
それでは、すべてOKとは、一体どういうことなのでしょうか?

人というのは、この世の中に生きている限り、完璧な存在というのは誰もいません。時には、世の中の悪によって、自分自身にとって、とても大切な何かに気づかされることがあるかもしれないのです。つまり、悪は悪でも、100%すべて悪であるということはないのです。良い行いでも、中には、誰かを不幸にしていることがあるのかもしれません。

それでは、私たちが行う良い行いを、どのようにとらえたら良いのでしょうか?
私たちは、さまざまな稀有な体験によって、現在の価値観を得、日々世の中のために、心を注いでいます。しかしながら、それは、たまたまの偶然であり、将来や来世には、自分自身が悪と認識する側にいないとも限らないのです。人生、今一瞬以外は、どうのように変化するかなど、誰もわからないのですから。

ですから、自分の認めるもの以外を、絶対的に否定するのではなく、そちら側にはそちら側の必然の理由があるのだろうと理解することです。たまたま今生は、自分自身の価値観に基づくとても大切なことに気づき、正義を成し遂げる役割をしているのかもしれません・・・次回は、どうなるか、誰にもわからないのです。

現在の環境と状況を、必然として与えられたのですから、自分の持てる才能と叡智を注ぎ込み、信じる道を進むのみです。それが、自分自身の役割であるからです。しかしながら、役と言うのは、言うなれば、芝居ですから役割を演じるだけです。ふりをするのです。本気であり、本気でない訳です。演技ですから、かたくなになってはいけません。芝居上、相手の演者の演技は、どうこう言っても、演者自身を悪く言ってはいけません。相手もそうゆう役割を演じているだけなのですから・・・

この世の中は、舞台上の芝居のようなものです。人それぞれが、必要な役割を演じ切り、感動のクライマックスをつくり上げるのです。自分自身の演技の上手下手で、ドラマのクライマックスの感動が、どうにでも左右されることを決して忘れてはいけないのです。




| 今日このごろ | 20:17 | comments(0) | - | pookmark |
知っている症候群

マクロビオティック、ヨガ、原発反対etc・・・
世の中の真実を知った人たちが陥りがちなことがあります。
「私だけは知っている症候群」。

たかだか、何かの機会でたまたま耳にした情報のおかげで、
自分だけは、この宇宙の真実をすべて知っていると思い込んでしまうのです。
症状は、プライドが高く、傲慢になり、他を排除します。

この世の中は、すべてOKが正しいのです。
僕もかつて、知っている症候群でしたが、
今は治りました。(笑)

| 今日このごろ | 09:17 | comments(0) | - | pookmark |
シンクロニシティ

全ての物事はつながっているとよく言われます。
過去の選択が、現在の状況を導いている。現在の状況というのは、過去のどの選択が何1つ間違っていても、実現されなかったのです。
つまり、現在の状況というのは、過去の必然の積み重ねのたまものである訳なのです。

 

例えば、買い忘れた品物を友人が買ってきてくれた。電車に乗り遅れたおかげで会いたかった友人に会えた。など、人と人が共鳴する事象というのは、私たちの日常で、頻繁に起こっています。

ところが、例えば買い忘れたはずの玉ねぎが 2週間前の間違った注文によっていま届いた。などは、共時性という事では、どうしても説明がつきません。玉ねぎを買おうと思ったのは今日なわけで、潜在意識は2週間後に玉ねぎを買い忘れる事を予測していたことになります。今話題のアメリカのテレビドラマ、「タッチ」の中で描かれている物事の共時性、シンクロニシティというのは、厳密に言うと、少し違っているのかもしれません。

 

つまり、現在の姿というのが、過去からの必然によって成り立っているのではなく、実は、今この瞬間に、理想の現実を自分自身が作りだしているのです。偶然の一致共時性、シンクロニシティというのは、自分自身の現実が作り出した、ただの幻想であるのです。

| 今日このごろ | 19:39 | comments(0) | - | pookmark |
運命の人
夫婦の関係というのは、不思議なものです。
出会った時、あんなに盛り上がっていた情熱が、いつのまにか冷めていく・・・そんな事が世間にはよくあります。どうしていつの間にか、二人の情熱はさめていくのでしょうか?


この世の中には、運命の人と出会う人がたまにいます。運命の人とは、まさに、今生で出会う運命になっていた人のことです。自分の本来生きる道をまっすぐに進んでいる人は、この運命の人に出会うのです。つまり 自分自身を正直に表現することがむずかしい、現代社会においては、本当の運命の人と出会うことが稀なのです。

さて、それでは運命の人とはどんな人なのでしょうか?それは、心も体も自分としっくりと合う魂の約束をした二人です。そして、運命の人には印がついています。自分が今まで出会ってきた大切な人たちの、良いところをすべて持ってます。つまり、自分が今まで出会った、大切な人たちというのは、実は、運命の人に出会うための必然のプロセスだったのです。

運命の人との関係は、自分自身を劇的に変化させます。長いこと止まっていた歯車がやっと動き出したように、時間と空間が生き生きと動き出すのです。
| 今日このごろ | 14:44 | comments(0) | - | pookmark |
世界最大の謎

この世界の最大の謎とは、何だと思いますか?

それは、自分と他人がなぜ違うのか?ということです。
まず、ビジュアル的に見ると、他人は頭の先から足先まで、全身を見ることができますが、自分と言うのは、鏡などを使わない限り、全身を自分の目で直接見ることが、絶対にできないのです。
そして、自分の意識と言うのは、いつも自分の体の中にあり、決して、他人の意識を感じることはありません。どうしようとも、自分は、他人の意識にはなることができないのです。

つまり、この世界は、自分と他人と言う、2つの大きな世界に分かれることがわかります。

この地球上に60億もの人類が生存し、そのひとりひとりが、日々を生きているにもかかわらず、自分と他人が、なぜこんなにも違う感覚なのだろうか?と不思議に思ったことはありませんか?なぜ、自分は、物心がついた頃から、なぜずっと、自分であるのか?

世界最大の謎の理由、だれか教えてください。

| 今日このごろ | 13:45 | comments(0) | - | pookmark |
嫉妬心2
自分がえらい、相手がえらいと言っても、本来は、自分と他人の優劣など、どちらでもよいことです。なぜならば、この世界は、自分の存在が前提になって存在しているのですから・・つまり、自分が存在しなければ、世界は存在せず、自分こそが、唯一無二の存在であるわけです。ですから、その価値や素晴らしさは、そもそも他人と比べるまでもありません。

また、なにがえらい、なにが素晴らしいかというのは、人それぞれ考えが全く違いますから、なにかのきっかけや考え方ひとつで、価値観が、真逆になってしまったりするわけです。そもそも、嫉妬心なんてものはないもの、自分の気のせい以外のなにものでもないことがわかります。
| 今日このごろ | 10:57 | comments(0) | - | pookmark |
嫉妬心
なかなか思うようにならない、自分の心というもの。
嫉妬心というのは、相手を認めたくない心の現れです。

自分はえらいという、プライドの高さが、相手の価値を認めないのです。

自分は相手より優っていると思い込みたいのが、嫉妬の心ですから、
嫉妬心が、生まれたということは、相手が自分より上であるという証です。
本当に、相手より自分が優れていれば、そんな感情は起こりません。
「なるほど、あの人は、自分よりえらいんや・・・」とあきらめましょう。

そのほうが、らくちん。らくちん。
| 今日このごろ | 20:53 | comments(0) | - | pookmark |
過去
過去と言うのは、今をうまく生きるための羅針盤です。
愛と冒険の旅をするための地図以外のなにものでもありません。

ただ、それだけのものです。 
| 今日このごろ | 00:11 | comments(0) | - | pookmark |
永遠の一瞬
自分とは、一体何なのでしょうか?
自分は、ずっと昔から、自分なのでしょうか?
もし、仮に、自分の記憶が、どこからともなくやってくる、ただの情報であったとしたら・・・

たしかに、さっきあそこにいた。確かに去年、何をした。
はたして、ほんとうにそれは、あなただったのでしょうか?

10年前の自分と今の自分、あまりにも人間性が違ってしまって、とても同じ自分とは思えない。そんなことを感じたことは、ありませんか?

過去の記憶と言うのは、自分がたぶんそうだと思っているだけで、確証できるものは、なにひとつありません。なぜなら、過去と言うのは、もうどこにも存在していないからです。

例えば、人の魂が、一瞬一瞬入れ替わっているとしたらどうしますか?
記憶だけを、永遠と引き継いでいるのだとしたら・・・


確実なものは、今、一瞬だけです。1秒経てば、それは過去・・・
一瞬には時間の長さがありませんから、ある意味、止まっているとも言えます。
それが、永遠です。
つまり、一瞬と永遠は、同じもの。魂が生きているのは、今この一瞬の世界。
永遠に続く一瞬を、私たちは生きていると言えるのです。

私たちにとって、大切なもの、必要なもの、本当にあるものは、この永遠の一瞬のみです。それ以外のものは、全く生きるのに関係のない、意味のないものです。
ただの、賑やかしです。
| 今日このごろ | 12:44 | comments(0) | - | pookmark |
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