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イエスキリストや、天照大神、世界の神々が常に太陽神、光の神様であるというのは、まさにこの事であるということが理解できたのです。
私たちの日常生活で起こるたくさんの不思議な出来事や奇跡的な偶然を目にする度に、やはりこれは正しかったのだと納得せざるをえなくなりました。
仕事や日々の暮らしに追われていたあの頃、何の文句の付けようのない生活も、たぶん僕の魂は、ずっと違う・・・といい続けていたのだと思います。縁があって知り合った知人とのコミュニケーションの中で、本当に大切なものは何なのか?そして、本当に大切なものは、とても少ない・・・という事が解った時、僕は生まれ変わったのだと思います。魂が入れ替わって、また違う、もうひとつの人生が始まったような気がするのです。
あの頃は、今のような生活が待っていた事など、想像もできませんでした。すべてを捨てて、自分ひとりで歩き出したその先に、こんな今があろうとは・・・人の人生には、大きなテーマがひとつあるといいます。それを乗り越えた時、人は人生を全うするのではないかと思うのです。僕の場合は、何かの間違いで、30歳の時、それが起こってしまったような気がします。
人の幸せとは、たぶん、総量が決まっているのではないでしょうか?大変な思いをして、苦労した分だけ、きっと素敵な未来が待っているのだと・・・悩んだ心の分だけ、流した涙の多さだけ、人は優しく強く成っていけるのだと思うのです。
常識にとらわれず、世間を気にせず、
自分の気持ちに忠実に生きていたい
いつも心は晴れやかに、
うそをつかず、一人の人を愛し、
自然の流れに身をまかせ、
こだわらず、信念を捨てず、
溢れる愛の光の中で、
今を大切に生きていきたい
これからも、ずっと・・・
家族のやさしさも、友人からの思いやりも、このいとおしき日常生活も・・
原発事故も、ISISも、わたしたちの日常に起こる様々な問題も・・
それらの事象に憎しみや怒りや悩みではなく、感謝の心が生まれるとき、実は、その問題というのは解決しているのです。周りから見ると、何ら変わりなく思えるその問題も、当事者にとっては、心の中でもう解決している問題と言えるのです。世の中に起こる全ての事象の裏側には、その人にしか解らないとても大きな意味が存在しています。問題の裏側に潜む本質に気づくとき、心を悩ませたその問題にさえ、感謝せざるを得ないいとおしさを感じるものです。すべては、自分自身の魂の覚醒のため・・・周りに見えているすべてのものは、有るようで実は、実体には意味のないもの。自分自身の心を気づかせるための、大いなる何かが仕組んだ巧妙な仕掛け、作りものであったという事がわかります。
ふたりの関係をおろそかにして、
自分のものになる真実は何もない。
心も体も感じあえない夫婦は悲劇である。
体がひとつになる。心がひとつになる。
体が消えて、心が消えて、ふたりは無を体験する。
そして、生きる意味を知る。
いくらどんなに立派でも、いくらどんなに成功しても、
ふたりの真実を知らない人は、
何も手にしていない。
とことん話し合うと、何かが見える。
とことんぶつかりあうと、何かが見える。
壁がこわれて、心がつうじあう。
ふたつの心が通うたび、少しづつ、魂がとけあっていく。
そして、いつか、
心が、ひとつになる。
その時、ふたりは、
永遠と一瞬を経験する。
世界の本質を知る。
それでは、どうすれば自分の理想の世界を作り出す事ができるのでしょうか?
人の思いというのは、大きく分けて、愛とエゴに分かれるのです。愛とは宇宙の願いであり、エゴとは自己の願いです。宇宙が、私たちの周りにこのような世界をつくり、様々な事象を作りだしているには、何らかの大きな目的がある訳です。それが、宇宙の願いであり、目に見えない何かの意思・神と呼ばれるものです。
人は誰も、宇宙の意思を知るために生きていると言えます。そのために、人それぞれ、様々な人生が用意されている訳です。宇宙の意思を知るために人生に現れる様々な事象や問題が、自己の願いと言えるのです。それはまるで、宇宙の意思とは正反対のように見えるかもしれません。しかし、その人にとって、それらの事象を経験することが、魂の覚醒に大きな影響を及ぼすのです。
物事というのは、宇宙の意思に近いほど、実現しやすいものです。ですから、自分の理想の世界を作り出すには、自分の心をエゴではなく、愛にすることです。
世界というのは、愛でつくられていますから、自分の思い通りの世界がすぐに実現する訳です。
それでは、愛ではなく、なぜ人のエゴが現実化するのでしょうか?
世の中、聖人のようにエゴのない人はいません。そして、エゴは世の中に不調和をもたらします。つまり、人は、その不調和を自分自身で体験してはじめて、自身の心のエゴを改めようと思うのです。ですから、たとえそれが遠回りのように思えても、結局は、心が愛を知るひとつの過程であることが解ります。
他人に真似のできないような素晴らしい能力のある人が、世の中にはたくさんいます。しかし、世界で一番素晴らしいのは自分自身なのです。プライドの高さや傲慢さではなく、自分というものが、実は一番素晴らしいのです。
はたして、自分というのは何なのか?本当に自分というものがあるのか?エゴというのが自分であるならば、愛は、宇宙の導き・守ってくれる目に見えない何かのお陰様なのではないでしょうか?つまり、自分の心から、エゴが削げていくとき、人というのは、自分というもののない、愛そのものに近づいて行くのだと思うのです。そういう意味で、世界で一番素晴らしいのは自分自身であると言っているのです。つまり、宇宙の導きや見えない何かへのこの上ない感謝の気持ちの表れである訳です。
自分ではなく、大きな何かへの感謝と畏敬の気持ちが心に生まれる時、人は心に本当の愛の意味を知るのです。
自分の心をあとにして、
求める誰かに出来るかぎりの愛をそそぐ。
ただ、それだけでいい。
空に舞う一枚の葉っぱのように、
風に吹かれて宙をただよっている。
そんなふうに生きていたい。
時々、自分の思いが邪魔をするから、
いつも、心を空っぽでいたい。
人の心がいとおしいから、
そんな心をささえたい。
人の思いが伝わるから、
そんな願いをかなえたい。
いつか、そんなものになりたい。
そして、いつの日か、
ただひとり、愛する誰かに、
この心を尽くして生きていたい。
愛する理由がある。
愛される理由がある。
誰かを好きになるわけを、大切にしたい。
誰かに好かれるわけを、大事に受けとめたい。
人が、もくもくと、この世の中を生きている。
心が、もくもくと、この世の中を感じている。
悩んだり、喜んだり、泣いたり、笑ったり、
そんな気持ちを大切にしたい。
恋愛のときめきや恋のかけひきは、いらない。
ただ、愛する心と愛される喜びがあればいい・・・
誰かの思いをかなえたい・・・
誰かの願いをかなえたい・・・
そこに必ず、大切な何かがあるから・・・
たどり着くところは、どこでもいい・・・
待っている答えは、何でもいい・・・
心が、傷ついても、
涙が溢れても、
人はそうして生きていく。
人はそうして、新しい自分へ歩きだす。
私たちはいつも、過去や未来ではなく、今を生きています。そして、知らず知らずのうちに、この一瞬に未来を作りながら生きているのです。
この世の中は何で出来ているかというと、宇宙を満たしている愛で出来ています。私たちの意思や祈りが自分自身の日常を作っていると言えるのです。解りやすく例えるならば、愛とは家を作る木材やコンクリート、意思や祈りとは、その設計図です。私たちは誰もが、思い通りの明日を作り出す力を持っているのです。
ではなぜ、多くの人々が人生を思い通りにできずに悩んでいるのでしょうか?
人は、しばしば、自分自身が作り出した世界であるにもかかわらず、不平不満を口にします。実は、今一番その人に必要な環境がこの世界に作られているのにもかかわらず・・・
全ての出来事をありがたいと受け入れてみると、その事がよく解ります。今まで見ていた世界が、全く別の物のように感じられるかもしれません。人生観が180度変わってしまうのです。
私たちがなぜ、今一瞬を生きているかというと、次の瞬間、全く別の素晴らしい世界を作り出すことができるからです。世界は、そうして変わっていくものなのです。何よりも大切なのは、今よりもっと素晴らしい世界を作る設計図、つまり、尊い祈りであることが分かります。昨日でもなく、明日でもない今一瞬に、理想の明日をつくる大きな力があるのです。
彼女とめぐり会って、ぼくは気づいた。
自分の歩く道を・・・
人の生きる道を・・・
もう、長い間、凍てついていた心の氷がとけだして、
息を吹き返した。
あの頃のように、歩けるような気がした。
ただ、無垢な気持ちで、
人を愛せるような気がした。
彼女と出会って、いとしさを思い出した。
心の空白が埋まった気がした。
強くなれた。
そして、本当の孤独を知った。
人の生きる意味こそ、孤独の中にあった。
ぼくは、もう一度立ち上がろうと決めた・・・
今も、もっと大きな愛で彼女を愛している。
意識を今一瞬に集中して、今という時間を感じでみると、やっぱりいつまでたっても今一瞬を生きているのです。過去の出来事というのは、すでに自分の記憶の中の産物です。そして未来というのはまだ存在していない想像上の世界なのです。ですから、この世界に存在する唯一の物は、今この一瞬の世界だけということになります。一秒一秒こくこくと過去になっていく今一瞬、1分前の世界はもう自分の記憶の中の存在でしかありません。つまり、過去というのはもう、この世界には存在していないものなのです。
それでは今一瞬とはどういうものなのでしょうか?
「今」と言った瞬間、既に今は過去になり、今一瞬には存在していません。厳密に言うと、今というものが本当に存在するのかどうかさえ疑わしいのです。つまり、今とは時間のないもの、一瞬とは言わば、長さのない点のようなもの、時間も空間もない5次元の世界なのです。
時間も空間も超える存在である今一瞬というもの・・・
そして、他方で時間も空間も存在しない永遠というもの。つまり、一瞬と永遠は同じものであったということが解ります。私たちが一般的に理解していた一瞬の対極である永遠というものは、実はこれらが同じものであった訳なのです。私たちが生きているこの世の中、現実世界・・・私たちは、どこにいるかというと、実は永遠と一瞬が同時に存在し、時間も空間も超越した5次元の世界に生きているということになります。実は、私たちが感覚で感じ生きているこの3次元の世界に重なって、5次元の世界が存在しているのです。私たちは、知らず知らずのうちに、一般的に認識しているこの3次元の世界と5次元の両方の世界を生きているのです。そして、3次元というのは5次元の一部分であります。多くの人たちは、意識の大部分をこの3次元の世界にだけ向けて生きています。ですから、感覚は、この世の中を3次元の世界であると認識する訳です。しかし、この現実世界に重なって、5次元の世界が存在しているのも事実であります。私たちの意識が、3次元の殻を飛び出して、5次元を意識する時、私たちの肉体と意識は、5次元の世界に存在すると言えるのです。
5次元とは愛の世界です。苦しみや悩みのない楽園のような世界。そのような世界が、遠い地の果てや宇宙の果てに存在しているのではなく、実は、今現在、ここに存在しています。5次元を生きるには、戦争や苦しみが渦巻くこの3次元の世界ではなく、愛の世界へ意識を向ければよいのです。それが、魂の覚醒、アセンションというものです。