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エッセイ
エッセイのネタが尽きたので、当面日々のことを書きます。 
| 新着 | 17:02 | comments(0) | - | pookmark |
ひまやな〜〜

| 新着 | 10:22 | comments(0) | - | pookmark |
5歳と2歳

| 新着 | 09:46 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(おまけ)

この世の中で一番尊いものは、夫婦の愛、家族の愛です。

ふたりの愛が頂点に達するとき、死の世界とつながる訳です。
ですから、死の世界から、生の世界へ魂がやってくるのです。
つまり、生まれたての子供というのは、愛の光そのものということです。

この世界で一番強い力を持っているもの、世界を動かすことのできる力は、祈りであります。
つまり、強い祈りの力を持っている人が重要な訳です。心の思いが、知らず知らずのうちに、愛の光に届く人のことです。
ですから、こだわりや執着のある人と言うのは、それ自体が邪魔になって思いがたやすく実現されるということがありません。あれはだめ、これはだめという心が、一番物事を進まなくしているのですね。
つまり、何でもOK、が一番いいのです。

原発はだめ、添加物はだめ・・・というふりをしている人が、一番祈りの力が発揮されるのです。そういう事は、本気で思っていてはいけません。(笑)
人の幸せや社会の変革を思う心、実現される行動力は、人並み以上に強いのですが、あくまでも本気ではないのです・・・
いわゆる、そんなふりをして、生きているのです。


あくまでも、家族は、お客様です。自分の世界へやってきた、一番身近なお客様です。自分の思うようになると思ってはいけません・・・(笑)
世界で一番仲の良い、家族のふりをするのです。

ですから、この人以外考えられない、とか、この人なしでは生きていけない・・・などとは決して思ってはいけません。(笑)
すべては、今だけ・・・仮のすがたです。
ありがたや、ありがたや。

| 愛の光 | 15:05 | comments(0) | - | pookmark |
ヤタガラス

ササヤマルシェでも、
道開きの神様 ヤタガラスのバッチを
たくさんお買い上げいただきました。
ありがとうございます。

| 新着 | 08:01 | comments(0) | - | pookmark |
ササヤマルシェ
昨日は、ササヤマルシェ出店でした。

 
| 新着 | 20:20 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(12)

この世の中は、人の心がつくりだした幻のようなものです。

目を閉じれば、すべては暗闇となり、すべてのものが一瞬にして消え去ってしまうのです。目を閉じている間、世界は本当になくなっているのかもしれません・・・

 

この世界は、心こそが本当であり、実体のある世界です。

我々現代人は、世の中の物質を実体のあるもの、心はよくわからない不確実なものと考えてきました。しかし、それらは、全くの真逆であったのです。

つまり、心が作りだしている世界であるからこそ、物事は一瞬で変化し、奇跡と呼ばれるものが現れる訳です。奇跡というのは、私たちの心の選択が、神の意志と同じであるという印しです。生き方が正しいという認め印である訳です。ですから、歴史に残る聖人・聖者というのは、数限りない奇跡を起こすのです。それは、聖人の心が、神の意思、宇宙の意思そのものであるからです。

 

それでは、この幻である世界とは、一体何なのでしょうか?なぜ、心は、このような世界を作りだしているのでしょうか?

 

それは、人々が、新たな真実に気付くためです。世の中に起こる問題や課題は、その真実を知るためのヒントと言っても過言ではありません。心は、そのようにして、世界をつくっているのです。

 

世界においては、すべての物質や出来事が、人の心を新たな覚醒に導いている訳ですから、世の中のすべては愛であると言えます。そして、この世の中の根源は、光であります。つまり、愛は、光であり、根源からこの世界を照らす光こそが、愛そのものであるという訳です。人は、それを神や宇宙、創造主などと呼んでいるのです。私たち人間というのは、宇宙の愛の光に照らされ、神さまの手の中で、様々な日々の出来事を通して魂を覚醒し続けている、心という存在であるということになります。

おわり

| 愛の光 | 19:14 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(11)

賜物を与えられ、神さまに使われるというのはとても有難いことです。しかしながら、それには、その分、大きな責任が生まれるのです。

この世界において賜物を与えられた人は、それを真っ当に、十分に使いこなし、周りの人たちに奉仕する役割があるからです。

 

人を治したり、いろいろな事が解ったり、美味しい料理が作れたり・・・世の中には神さまから授かった様々な賜物を使う人たちがいます。

ところが、多くの人が、その賜物の使い方を誤っているのです。

「自分はえらい・・・自分は特別・・・」ついつい人間である以上、人と違う特別な力があると、人は勘違いをしてしまいがちです。そして、その高慢な心こそが、賜物の使い方を誤らせる原因であるのです。

正しく使われない賜物は、そこに不調和を起こします。体調や気分が悪い、上手くいかない、悩み事がうまれるなど、神さまからの印しを与えられるのです。うかうかしていると、いつの間にか、賜物が失われることに成りかねません。

 

人は素晴らしい能力を持った人に憧れ、敬意を抱きます。しかしながら、本当に素晴らしい人とは、素晴らしい賜物を授かった人ではなく、賜物を素晴らしく使いこなしている人のことを言うのです。周りの人たちを、新たな魂の覚醒に導いている人が、本当の素晴らしい人なのです。不思議な力や能力を持っていること自体が、素晴らしい人であるという事では決してありません。

 

| 愛の光 | 00:01 | comments(0) | - | pookmark |
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