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愛の光(10)

そんな世界を可能にするのは、ただひとつ・・・

この世界は、心が作りだした作りものであるからです。

例えるならば、人が夜見る夢のようなもの。夢の中の作りものであるからこそ、それぞれひとりひとりが主人公になれ、人の数だけ存在する人生という物語が可能になるのです。それでは、この夢のような幻想の世界をつくっている元のものとは、一体何なのでしょうか?

 

この世界の本質は、光です。キリスト、天照大神や世界の神々が、光の象徴であるのはこの真実を表しているのです。光が、この世界のすべてを作りだしているのです。

古事記に見られる神武天皇東征の神話の中で、熊野から大和へ向かう神武天皇の弓の先にとまり、ナガスネヒコをやっつけた鳥は、金鵄(きんし)と呼ばれる金色のトビであります。実は、神さまの分身であるこの金鵄の輝きは、仏や神の背後から射す背高、つまり後光と呼ばれる根源からの光を表しているのです。不思議な力をもった知人は、「神の力が宿ったものは、光って見える・・・」と言っていましたが、これがまさに神の光です。

 

つまり、宇宙の根源からのエネルギーが、直接表現されたものには、すべての根源である神の光が宿るのです。そのものと周りのエネルギーの質の差によって出来る空間の歪みから、根源の光が漏れ出ているのです。

人でも、物でも、光っている、輝いている、などと表現されるとき、それは、明らかに宇宙の根源のエネルギーが直接表現されていると言えるのです。

 

| 愛の光 | 21:52 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(9)

人生という物語は、自分が主人公であるとよく言われます。もちろん、主人公というのは、1つの物語に1人であるはずです。

ということは、物語が世の中の人の数だけ存在するという事です。

つまり、この世界には、人の数だけ異なる世界が存在していることになります。一体、これは、どういうことなのでしょうか?

 

私たちは、ひとつの大きな世界を構成するただ一人の存在として、この世界に生きていると考えています。それが、ごく一般的な人たちの世界観です。普段、私たちが自分の目で見、体験している世界は、明らかにひとつの大きな世界に、極めてたくさんの人たちが生活し、それがひとつの時間と空間を共有しているように思えます。

 

ところが、世界は、どうもそのようには作られていないらしいのです。

 

この世界は、自分ただ一人が主人公であり、心の選択によっていかようにでも作り変えられる奇跡の世界です。心こそが生の本質であり、目に見える世界は、心の作りだした幻想といえます。

さて、そんなことを可能にする世界の構造とは、いかなるものでしょうか?

そのような事が、はたして可能なのでしょうか?

 

| 愛の光 | 00:01 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(8)

例えば、大きな悩みをかかえている人は、常にその事が頭から離れません。そして、その事を忘れられるのは、寝ているときくらいかも知れません。つまり、寝ている時が、死の世界です。また、嬉しさや楽しさで、一瞬、悩みを忘れるかもしれません。まさに、嬉しさや楽しさは、死の世界なのです。しかしながら、その時間は、ほんのわずかなあいだであり、解決されない悩みが、無くなることはありません。それを解決する事が、その人の魂にとって、必要であるからです。

 

死後の世界の1年は、この世の1000年に相当すると言われます。ですから、寝たと思ったら、一瞬で朝がやってきたように思えるのです。つまり、この世界に生まれ変わりというものがあり、人は何度でもこの世に生まれてくるのであるとすれば、50年後にもう一度この世界に生まれ変わるという事は、死の世界の時間では、2週間くらいの期間です。まして、1年以内に生まれ変わるというのであれば、死後の世界では、ほんの一瞬の出来事です。

悩みを忘れられるのは、そのくらいの時間だけで、またひきつづき、同じ問題が、環境や人間関係を変え、自分の前に現れることになります。楽になったと思ったのも束の間、寝たと思ったら、またすぐ朝が来るように、来世の苦しみがすぐにやってくるのです。

 

この世の問題は、この世のうちに・・・

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 

| 愛の光 | 16:36 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(7)

人は死んだ後、どうなると思いますか?

天国、地獄、無、生まれ変わり・・・いろいろな話がありますが、人は本当のところを知ることはできません。

 

この世の中は、フラクタルな構造で成り立っていると言われます。それは、部分と全体が自己相似になっており、大は小を含み、小の中に大が含まれる。永遠の中に一瞬があり、また、一瞬の中に永遠は含まれるという概念です。

つまり、別の事柄のような2つのものが、実は鏡合わせであり、他方を構成する要素になっているということ。宇宙の構造と人体の構造は同じであり、草木の葉っぱの形状、山や雲、海岸線もフラクタルの構造をしているのです。

 

つまり、死後の世界は、この世の中のどこかに存在しているということになります。

 

人の1日というのは、人の一生に例えることができます。陽性である日の出とともに、この世に陽性としての生を受け、日が暮れると、陰性である死へ帰っていく・・・つまり、眠りこそが死である事がわかります。

 

人は誰でも、何かしらの悩み事をかかえているものです。人により、その内容は様々ですが、悩み事のない人はいないとも言えます。なぜならば、人はこの世の中に、何らかの人生の問題を解くために生まれて来ているからです。

それこそが、人が生きている意味であり、その問題が解けた人だけが、本来、生の世界を離れることが出来るのです。自分の周りに存在するすべてのものは、その問題を解くヒントと言っても過言ではありません。

 

| 愛の光 | 00:01 | comments(0) | - | pookmark |
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