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愛の光(2)

世の中には、いろいろな仕事が存在します。

人は皆、自ら選んだ仕事に日々精進し、人生を一生懸命生きているのです。

 

しかしながら、その仕事の根底にあるもの、元をただすとその仕事が行き着く先にあるもの、というのは大きく二つに分かれるように思います。

 

例えば、一般的に、野菜づくりには大量の化学肥料と農薬が必要です。また、野菜やお肉を使って料理をするレストランは、その恩恵を受けています。つまり、それらが成り立つ上で、石油、化学薬品、農薬というものを製造し、世界経済を支配している世界資本というものが必要不可欠になるわけです。

ちなみに、世界の戦争は、石油争奪の歴史でありますし、化学薬品は石油から出来ています。また、それらから作られる化学物質によって、現代人の健康は、取り返しのつかないほど損なわれていますし、化学肥料と農薬・大規模な牧畜によって、土地は汚染され、地球環境が著しく破壊され続けています。世界中の食材を輸入するために、食べ物は、余計な化学的薬品処理を施され、国内の真っ当な伝統産業は消滅してしまいました。伝統文化の消失は、実は、伝統食品の消失に他ならないのです。

 

ヨーロッパに本拠を置く、世界のある組織は、資本主義の自由という名の元、エネルギーと食糧、環境を支配し続けています。それは、世界の価値や利益が、一か所に集中する仕組みです。そしてまた、世の中には、それらと真逆の愛に生きている人たちがいます。自由を尊重し、世界の価値を全ての人で、最低限に分かち合おうと考える人たちです。前者は、エゴで生きている人々、後者は、愛に生きている人々と言えます。

 

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愛の光(1)
 

我々日本人というのは、愛の遺伝子を持った古代ユダヤ人の末裔であります。

それは、YAP−という世界的に見ても、非常に稀な遺伝子を持った民族。約2000年前、日本にやってきた古代ユダヤ民族は、日本に神道という神の国を作り上げました。しかしその時、すでに先住民がいたのです。現在のアイヌ民族、琉球民族、そして、九州南部のくまそと呼ばれる人たちです。

 

実は、それらの先住民族は、YAP+という遺伝子を持っており、遠くは同じ祖先を元としている事が判っているのです。そういう意味で、我々現代人とは、古代ユダヤ人、日本の先住民族、大陸からの渡来民族を祖とし、それらが融合した民族であるといえます。しかしながら、我々日本人に宿るその血液は、まぎれもなく、ニューメキシコ州ロズウェルに墜落したUFOから発見されたモンゴロイド系の宇宙人と同じ、YAP−という遺伝子を有しており、世界が激動へと向かう現代において、その動向を世界が注目し続ける民族であることは、動かしがたい事実であります。

 

ケネディ大統領は、アメリカ政府が隠し続けてきた宇宙人とのコンタクトの事実を発表する直前に暗殺されましたし、先日、ロシアのメドヴェージェフ元大統領は、テレビ局の共同インタビューで、「ロシアの歴代大統領は、核のボタンと宇宙人極秘ファイルを受け継ぐ。これ以上明かすと危険が及ぶ・・・」と発言し、物議をかもしました。

 

ちなみに宇宙人とは、タコの形や奇妙な形ではなく、我々地球人と全く同じ人類なのだそうです。アジア人、アフリカ人という人種があるように、もうひとつの人種が宇宙人であります。

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愛と神(7)

世の中というのは、自分自身を映す鏡のようなものです。神道の三種の神器のひとつである伊勢神宮のやたの鏡は、まさにそのことを表しています。世の中の理(ことわり)を表しているのです。世の中が鏡であればこそ、そこに本当の自分というものが映るのです。それを心の目で見ることによって、自分自身に気づき、心を改めることができるのです。これが、日本神道の八百万の神の思想です。それに気づくとき、人はすべてのものに感謝する心が生まれ、そこに大いなる神さまの意思を発見し、心の中に神さまが宿るのです。心の中に、自分の神さまが生まれるのです。つまり、日本人というのは、心の奥に神性を持った民族と言えます。

 

それは、現代社会が、物質文明であり、知識と先端科学によって世の中が動かされると信じる現代人の中にあって、非常に稀な人たちであると言えます。稀であるからこそ心の神性を信じ、世界を変える力として、魂が目覚めるときを望まれるのです。世界を変えるというのは、何も地球上から戦争を無くすということではありません。私たちは、隣にいる大切な人の心に、小さな心の灯をともすことができるのです。実は、それがすべてのはじまりです。そういうものが積み重なって、やがて世界の流れが変わっていくのです。

「世界を変える」というのは、本当は、人の心に灯をともす事以外の何ものでもありません。

 

 

灯り

 

暗闇を手探りで何かを探していた

遠くにかすかな灯りがみえる

近づくにつれ 僕の心にほのかな灯りがともった

 

まわりを見渡すと暗闇に無数の心があったことに気づく

ほのかな灯りがまわりを照らし ひとつの心が息を吹き返す

灯りの連鎖がいつの間にか大地いっぱいに広がって

あたりは灯りにつつまれた

 

ずっと変わらず 楽園がここにあったことを知る

(おわり)

 

| 愛と神 | 00:01 | comments(0) | - | pookmark |
愛と神(6)

物が人の欲を満たす「もの」から、人の心を癒す「もの」へと変化する新しい時代。

食べもの、作りものは、私たちの生活と心地よい暮らしにとって、大変重要な存在となってきました。それらは、人の心の覚醒に大きな影響を与えているのです。

 

世の中には、仕事や活動を通して、心の愛を世界にそそいでいる人がたくさんいます。それは、使命感や努力や義務感からではなく、何とも言えない楽しさや幸せ感があるからです。楽しく日々を暮らし、自分を表現することによって、愛は自ずと人の心に流れ込んでいくのです。やがて人の心は愛で満たされ、心の闇が消えます。天照大神やイエス・キリストなどの世界の神々が、太陽神・光の象徴であるのはそのためです。

 

日本人は古来より、太陽に手を合わせてきました。そして日本の国旗は日の丸。まさに、太陽そのもの・・・実は、私たちは、誰もがそのことを心の中でわかっているのです。

心の闇を照らす光が人を幸せにし、それが、まさに愛というものであるということを。

 

心の闇は、親の教育、家庭環境、人間関係、前世の記憶によってつくられます。しかしながら、それは、ただの影であり、心の意思によって消し去ることができるものです。実は、心の闇というのは、ただの思いこみなのです。なぜならば、人生において、多くの人間の心の闇が、何らかのきっかけで一瞬にして消え去っているのですから・・・

 

それは、自分の中の神さまを信じることです。心の闇に光があたるとき、今まで見えなかったものが、自分自身の目の前に現れます。それを拒絶するのではなく受け入れることです。そうして、心の闇は少しづつ消え去り、光に満ちた愛の心へと変わっていくのです。それが、心の覚醒、霊性を高めることに他なりません。

 

| 愛と神 | 15:34 | comments(0) | - | pookmark |
愛と神(5)

「人事を尽くして天命を待つ」という中国の故事があります。

天命とは、天職のことです。神さまから授かった、まさに賜物です。

しかしながら、賜物を授かっているとはいえ、神さまは挑戦者にしか叡智を与えないのです。日々の生活の中で、常に自分自身と向き合い、戦いながら霊性を高めている人にしか新たな叡智は与えられません。並々ならぬ才能を与えられながら、それを最大限に活かし切れない人が世の中にはたくさんいます。

 

人は、自分を表現することによって、誰かに何かが届くのです。心の中が100%愛で満たされている人を、歴史は聖人・聖者と呼んできました。しかしながら、我々は、心の中に愛とエゴが同居しているのが現実です。つまり、日々の生活の中で自分を見つめ、霊性を高めることこそが、エゴを少なくし、愛にあふれる心をつくるのです。そのためには、まず、心の中に自分の神さまを見つける必要があります。自分を本来の自分自身へ導いてくれる大いなる何か・・・人の言葉や常識、固定観念に惑わされない心の芯のようなもの。人は判断基準の間違いで、意図しない思わぬ方向へ行ってしまうのです。他人の意見やスピリチュアルなアドバイスは、あくまでも参考程度にするべきです。宗教や精神世界に頼る人というのは、自分の中に神がいないので、意識が内でなく外向きになり、どうしてもそういうものに頼ってしまいます。それを依存といいます。それがなくては生きていけないのです。本来、人は自分の力で立って歩いてゆけるものです。極端な言い方をすれば、自分以外のものがすべて暗闇であったとしても、人は歩いてゆけるのです。なぜならば、本当は、世の中には自分しか存在していないからです。突き詰めれば、その自分自身も存在していなかったことに気づくのです。また、いわゆる人を導くような存在の方は、相手が自立して歩いて行けるようにすることが神の道です。ところが、現状では、依存させることが目的になっている場合が多くあります。そのようなところで現れる奇跡は、愛ではありません。

 

病気の人や、悩んでいる人、苦しんでいる人というのは、自分の神を見失っている人です。ですから、一時的にそういった他人の力を借りることも必要ですが、やはり一番大切なのは、自分自身なのです。自信過剰は問題ですが、自分が好きでない人というのは、どこかで自分の中の神さまを裏切っている人です。自分の中の神さまの存在に気付き、感謝の心が生まれれば、おのずと自分自身がいとおしく感じられるはずです。自分が好きというのは、自分の中の神さまに感謝している現れです。自分の中の神さまを信じなくては、物事はうまく運ばないのです。

 

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