「愛」から遠いのは、自己中心的な人、欲のはげしい人、プライドの高い人。
自分に自信のない人、資本主義的な豊かさを求める人、嘘をつく人・・・なども「愛」からは遠い。
なぜ、我がはげしいといけないのかというと、本当は自分の心に届いているはずの愛の指令が、エゴや欲によってさえぎられたり、歪んで伝わったりするからである。
生まれたての赤ちゃんや一部の障害者の人たちの言動が、ある意味神がかっていたり、正しかったりするのは愛をさえぎる余計なものがないからだ。本来、人は世の中のすべてのことを知ることが出来るのだと思う。しかし、それが自分の心やまわりの様々な生活環境によって、阻害されてしまっいる。世間で言う、発明・名曲・格言といったものは、いわゆる宇宙組合を通してある一瞬、人の心に指令が下ったものだ。キリストや仏陀を人は神様というが、実はあの人たちは、ただの人間なのだろう。ただ、言う事・する事がもう100%宇宙と調和して、正しく人を本質的な幸せにみちびくものになってしまったのだ。
日々どこからともなく届く、我々への指令には、エゴと愛があるからややこしい。
「誰かがやれと言った・・・」などという思い込みの激しい犯罪者などは、前者の典型である。
「この文章、誰が書いてるかわからん・・・」などという僕も、かなりおかしい。
地球人は、全般的に幼稚である・・・と誰かが言っていた。
どちらでもいいようなちっぽけな金儲けや利害で戦争を起こし、世の中をますます住みにくくしているのだから。
やがて必ずつけはくる。それが、宇宙の秩序・・・世の中の陰陽の法則というものだ。誰かを騙せば騙されて、嘘をつけば嘘をつかれて、誰かを愛すれば愛される・・・というもうどうしようもない世の中の決まり事なのだ。
今までずっと、エゴで生きてきた人たちには、そのうち必ず今までのつけを払うための大きな何かがおとずれるのだろう。