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日本改ぞう計画(9)
もはや日本に、本当の日本人はいないといえるだろう。我々現代の食生活では、本当に生命力のある、あるべき食べ物を口にすることができない。それで、「人が生きる」ということ、「存在する」ということの、本当はあたりまえで誰もが生きる規範とするような事柄が我々の心から失なわれつつあるのだ。

日本人の生命本来のすがたとは、「玄米」である。玄米を精白していくと、3分づき、7分づきとなって、白米になる。玄米とその他のお米のちがい・・・それは、玄米は生きているということ。水につけておくと芽が出るということ。一つの民族の主食が、生きているか、死んでいるか、それは、民族の心肝にかかわる大問題。日本人がなぜ、世界で稀に見る崇高な精神性を身につけてきたか?世界中の文化人、知識人が日本の文化にあこがれてきたか?それは、日本人の主食が、江戸時代まで、生きている玄米や雑穀であったからに他ならない。日本人の魂の秘密は、実は、「玄米という生命力」にあったのだ。

日々テレビからながれる、耳を疑うような理解を超えた悲惨な事件・・・生命というものの本質を知らない人間の仕業であろう。

生命というのは、ずっと続いていくもの。親から子へ、そしてまた、その子供へ。
生命力に乏しい人間は、また同じような人生を繰り返す。子供は、ほぼ、親と同じように育っていく。日々の暮らしの中で関わる環境と食事を我が身の体、すなわちエネルギーとして。親の生き方が、そのまんま、子供に受け継がれていく。
| 日本改ぞう計画 | 15:46 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(8)
地球環境を変えるには、体内環境を変えなくてはならない。この世の中を変えるには、人の心を変えなくてはならない。
世の中というのは、フラクタルに出来ているから、そういう事がわかる。だから、原子力発電の高レベル放射性廃棄物を地下深くに何千年も貯蔵したり、ロケットで宇宙へ打ち上げたりといった計画が、どれほどに間違った恐ろしいことであるかがわかるであろう。

政治家や医者は、哲学者でなければならないと昔の誰かが言っていたが、まさに現代というのは、そういった東洋の哲学(科学)が、我々の心からスッポリと抜け落ちている。かつて孔子をはじめ、偉大な聖人たちが、結局最後に、東洋の科学・易にたどりついたことからも、東洋の哲学・世界観の正しさは明白である。
東洋の哲学は、現代の西洋的な物の見方・現代科学というものをスッポリとその中に納めているのだ。

戦後日本は、奇跡的な文明の発展の陰で、日本の伝統文化・価値観と同時に、日本の食生活を失った。日本人が何千年も日々の努力で作り上げ、受け継いできた古来からの知恵、すなわち、日本の「土」を失った。いわゆる、土が植物となり、我々人間となるその生命の源を失ったのだ。日本の土に宿るもの、国産の食べ物に宿るもの・・・それこそが、世界の文化人・知識人を魅了し、虜にしてきた日本人の孤高な精神性、東洋の哲学から脈々とつづく、正しい世界観・宇宙観にほかならない。

現代の我々の体に自然治癒力や抵抗力・生命力が足りないのは、日本の土にエネルギーが足りないからである。原因は、化学肥料と農薬。
| 日本改ぞう計画 | 18:25 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(7)
体を美しくするのは比較的簡単だが、心を美しくするのはなかなかむずかしい。
しかし、心と体の両方伴わない美しさは、本物でない。

ソウルメイトとの深い心の関わりの中で、どんどん心のアカがとれて、心がそげていく・・・今まで、自分を覆っていたエゴや欲や、自意識といった愛を遠ざけるカラがどんどん取れていく。人は、そうして円熟した尊い精神と人間性を身につけていくのだろう。

だから、本当の自分を隠してなかなか本心を見せない人、人とのコミュニケーションを拒む人、本音でない人、自分を作っている人というのは、なかなか魂が本質にいたらない。いつまでたっても、同じところをぐるぐると回っている。
人間の進歩は、遺伝子と同じラセンであるように思う。同じような事柄を繰り返したとしても、明らかに前回の自分よりは確実に賢くなっているものだろう。ラセンの進む方向こそが、人それぞれの時間の流れであり、人生の濃さというものなのだろうと思う。
夢の長さ、楽しい時の短さ、相手によって感じられる時間のちがい・・・魂がすごす本当の時間、精神がかさねる年齢というのは人それぞれで様々なのだろう。

ソウルメイトとの関わりは、時間と空間を越えた魂の旅である。身のまわりに起こるキセキが覚醒の速度を加速する。

日々、自分の身に降りかかる、自分のまわりに起こる様々な出来事を心に真摯に受け入れ、その意味を解き明かし、素直に正しくまっすぐに人生を生きてこそ、心はものすごく早いスピードで美しくなっていくのだと思う。
| 日本改ぞう計画 | 14:37 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(6)
僕は、十年程前、三重県の人里離れた山奥、民家もまばらな宇気郷村というところで二年ほど、田舎暮らしをしていたことがある。何にもない暮らし・・・何もしない生活・・・何かもう、余生に老後の田舎暮らしを体験しているようだった。
それまでずっと、時間に追われて朝早くから一日中、仕事に追われていたのが嘘のように、おだやかで安らかな日々だった。

将来、人は、自然豊かで環境の整った田舎でしか、幸せに暮らせなくなるのかもしれない。年々、ひどくなる都市部の気温の上昇、生活環境の悪化。都市に住む人たちの多くが、生きていく以上は、人生の豊かさを味わえなくなっているのではないだろうか?田舎で自分たちの食べるくらいの野菜をつくって、のんびりとつつましく暮らす。素晴らしい環境の中での贅沢な田舎暮らしというよりは、そういった暮らしでしか、人は将来、生きていけなくなるのではないかと思う。

八尾のK先生は、もう何十年も玄米少食を提唱しつづけている。人の体の健康を超えて、人間が存在しつづける唯一の希望を語りつづけているのだ。

人が老後にするような田舎暮らしを経験して思ったこと・・・
「人が生きていくのに、本当に大切なこと。そして、本当に大切なことは意外と少ないということ。」
でもまだ、修行が足りないのか、あきらめがつかないのか、僕にはまだ、オシャレなカフェとちょっとした都会の刺激が必要らしい。
| 日本改ぞう計画 | 22:54 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(5)
やがて、食料はなくなるだろう・・・世界の経済発展のスピードに食料の供給は追いついていかない。自然災害と地球環境の悪化が、それに追い討ちをかける。
世界的な食糧不足の中で、一番のダメージを受ける国、先進国の中で、唯一自国の食料自給率が著しく100%を割り込んでいる国、我が日本である。経済は発展しても、先進国は自国の食料をほぼ、自らまかなってきた。もし何らかの事情で、食料の輸入がストップしたとしても、自国で国民分の食料はまかなえるのだ。

ところがである。日本の食料自給率は40%。もう、日々の食生活に欠かすことの出来ない食材の多くが日本から消える。

すべての戦争・争いの原因は、人の心の中の「恐怖」である。
陰陽マクロビオティック理論からも明白である、「肉を食べれば憎らしく。野菜を食べればやさしくなる。」という言葉のように、我々は日々、殺され食べられるためだけにうまれてきた、悲しい運命の食べ物を口にしている。そんな悲劇な動物たちの死を待つだけの人生。死の直前、断末魔の叫び、恐怖の思いを我々は知っているだろうか?お肉というのは、そういう思いのエネルギーをもって、生産させているのだ。そういうものを、人間は毎日毎日食べているのだから、我々の精神に大きな影響を及ぼさない訳がない。
1キロのお肉を生産するのに、11キロの穀物飼料がいる。将来の地球規模での食糧危機を多くの知識人がうれう昨今、食べられない人たちの事や地球環境の事を考えても、肉食というものについて考え直さなければいけないと思う。

気候・風土によってその国の食文化はちがう。寒い国では、必然に陽性の食べ物、肉食が増える。しかし、温暖な我々日本という国に、本来現代のような食文化はなかった。野菜・穀物を中心とする穀菜食の国民だったのである。
日本本来の食生活は、我々を救う。体と心を救う。魂を救う。
本当は、お肉を食べることよりも、お肉を食べなかったことの陰徳が、人の心を幸せにしているのだから。
| 日本改ぞう計画 | 18:08 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(4)
食を改め、生き方を改め、体の細胞や心が徐々に本当の健康を取り戻すにつれ、人間がかわるのと同様、世界は我々一人一人が変わらなければ、本来の姿にもどることはない。自然界は、いつもフラクタルにつながっているのである。

近代というのは、人間の手による破壊の世紀といってよい。地球環境がこわれ、人の体がこわれ、心がこわれていく・・・人類の長い歴史の中でも、これほどの短い期間にこれほどに劇的に、あらゆるものが悪くなっていったというときは、かつてなかったであろう。オゾン層はこわれ、大気は温暖化し、人の体は年々膨らむ医療費が示すように、本当の健康からは程遠いものとなっている。連日テレビから流れるニュースは、人の心の荒廃のひどさを伝えている。自民党はこわれ、肉は信用をなくし、原子力は地に落ちた。今まで散々に闇を隠し、悪徳をかさねて来たものが次々と荒廃していく。人の体が本来の健康を取り戻すときにおきる生体のメンゲン反応(症状が一旦悪化するようにみえる)のように、今、地球はあらゆるところで人間のエゴの代償を支払っているのだ。

今、苦しいのは、新しい何かがうまれる証である。新しい時代の予感である。陰が大きければ、また陽も同じように大きいのだ。人は、地球は、人間は、もう行くところまでいくだろう。我々の予想を越える事態が次々におこるだろう。これはもう仕方がない。今の世の中をみる限り、もううたがう余地はない。未来というのは、今の中にあるので、それらを予知することができるのである。
| 日本改ぞう計画 | 10:12 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(3)
幸せの仕組みは簡単だ。誰かを幸せにした分だけ、自分が幸せになれる。
これが世の中の決まりである。だから、自分があまり幸せでないと感じているならば、それは、自分が誰かを幸せにしていないか、世の中にあまりかかわっていないかのどちらかであろう。
たとえ誰かが傷ついたり、怒ったりしたとしても、それが宇宙の調和にもとづく行動や言動ならば、結局最後には、その本人の魂の覚醒に結びつくので徳を施したことになる。無意識でやっている事、認識不足からくる行動といえども、もちろん宇宙の仕組みにきっちりとはまっている。実は、まわりに知られない方が陰徳として素晴らしいのである。

有名ハンバーガー店などは、「手軽に、安く、新しい食文化を。」なんて言うが、日本人の食文化の消滅、放牧による地球環境の破壊、子供に対する味覚麻痺、肉食による精神の異常等、我々日本人に及ぼした影響は計り知れない。知らないとはいえ、本当に恐ろしいことである。実は、買ったり食べたり、それにかかわった人は、その徳の一部を背負うのである。人は必ず、そのツケを払うことになる。

何といっても、地球上で最高ランクに属する大罪は、化学調味料(アミノ酸)をほぼ全世界の食卓に浸透させた大企業であろう。化学調味料を口にすると、舌の味覚神経に作用して神経の麻痺がおこり、本来の味の味覚がなくなる。素材の味、繊細な味がもう識別出来なくなる。それで、何を食べても同じ味、素材の良さなどもうわからなくなってしまう。つまり、世の中のほぼすべての人が、軽い味覚障害なので、本当の美味しさがわからない。何百年と育まれ伝えられてきた、世界中の伝統文化と本物の消滅である。

でも、一週間、全く添加物や化学調味料をぬいた食事(七号食やマクロビオティック)をすると、本来の味覚が戻ってくるから大丈夫。
| 日本改ぞう計画 | 10:59 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(2)
「愛」から遠いのは、自己中心的な人、欲のはげしい人、プライドの高い人。
自分に自信のない人、資本主義的な豊かさを求める人、嘘をつく人・・・なども「愛」からは遠い。

なぜ、我がはげしいといけないのかというと、本当は自分の心に届いているはずの愛の指令が、エゴや欲によってさえぎられたり、歪んで伝わったりするからである。

生まれたての赤ちゃんや一部の障害者の人たちの言動が、ある意味神がかっていたり、正しかったりするのは愛をさえぎる余計なものがないからだ。本来、人は世の中のすべてのことを知ることが出来るのだと思う。しかし、それが自分の心やまわりの様々な生活環境によって、阻害されてしまっいる。世間で言う、発明・名曲・格言といったものは、いわゆる宇宙組合を通してある一瞬、人の心に指令が下ったものだ。キリストや仏陀を人は神様というが、実はあの人たちは、ただの人間なのだろう。ただ、言う事・する事がもう100%宇宙と調和して、正しく人を本質的な幸せにみちびくものになってしまったのだ。

日々どこからともなく届く、我々への指令には、エゴと愛があるからややこしい。
「誰かがやれと言った・・・」などという思い込みの激しい犯罪者などは、前者の典型である。
「この文章、誰が書いてるかわからん・・・」などという僕も、かなりおかしい。

地球人は、全般的に幼稚である・・・と誰かが言っていた。
どちらでもいいようなちっぽけな金儲けや利害で戦争を起こし、世の中をますます住みにくくしているのだから。
やがて必ずつけはくる。それが、宇宙の秩序・・・世の中の陰陽の法則というものだ。誰かを騙せば騙されて、嘘をつけば嘘をつかれて、誰かを愛すれば愛される・・・というもうどうしようもない世の中の決まり事なのだ。

今までずっと、エゴで生きてきた人たちには、そのうち必ず今までのつけを払うための大きな何かがおとずれるのだろう。
| 日本改ぞう計画 | 18:53 | comments(0) | - | pookmark |
日本改ぞう計画(1)
人の思いが届いて実現されるところを、僕は組合と呼んでいる!?(笑)
しかし、人の思いは二種類あるからややこしい・・・

ああしたい、こうしたい・・・と心のままに欲をほっする自分。そして、心の深いところにある本当の自分なのかどうかもわからない我のない自分・・・いわゆる無我の境地。

我々人間は、日々どこからか絶え間なくやってくる指令によって動いているといえる。前者を、エゴ・思い込み・気まま・自分。後者を、無我・仏心・宇宙などとよぶ。ここで言う組合とは、前者ではなく後者の宇宙組合だ!
宇宙組合には、名だたる人たちが加盟!?している・・・三輪明宏・美空ひばり・ジョンレノン。身近でいうと、八尾のK先生、Y医院のY先生。実のところ、僕も加盟させてもらっているが、今はまだ、みならいである。(笑)

しかし、世の中のほとんどの人たちは、宇宙組合のことをまだ知らない・・・
知っていたとしても、審査がきびしいので入会できる人は非常に少ないのだ。

テストの問題は、ただひとつ・・・「愛」を知ること。そして、実践すること。
| 日本改ぞう計画 | 08:28 | comments(0) | - | pookmark |
あとがき
 あれからもう随分と月日がたった。今ではゆきもすっかりと元気を取り戻し、ゆきまつのおかげで(!?)オープンした新しいお店の切り盛りにあわただしい日々を送っている。
このエッセイ「雪が降るまち」は、ゆきと出会って4日目に書きはじめた「雪が降るまち2004」、ゆきとの幸せな生活を書いた「おだやかな日々」、自然なお産に取り組んだ「幸せなお産」の3作をまとめ直したものである。

ゆきまつが亡くなった冬は、法事で家族が集まるたびに、ゆきまつを思うたびに、決まって雪が降った。陽がさす晴天の空からでさえ、キラキラと雪はまった。この空にゆきまつがいる事をみんなが感じていた・・・
ゆきまつは僕たちを結びつけてくれただけでなく、家族・友人・Y先生にまで人生の導きと魂の覚醒をもたらしてくれたのである。ゆきまつは、僕たち人間の心に光をあててくれたのだと思う。とんでもない大仕事をして、空に帰ったのだと思う。ゆきまつがなくなった事は、たぶん僕の人生で一番の悲しみとなるだろう。しかし、僕はあのとき泣けなかった・・・なぜならば、ゆきまつの存在、そしてゆきまつが世界に施した愛があまりにも大きかったから。ゆきまつの偉大なる愛のキセキに感謝することしかできなかったから・・・

確かにあのとき、僕たちは現代科学の力によってもっと早く安全に子供を出産することができたかもしれない・・・しかし、人の生き方というのは、それだけではないのだと思う。人間の意識的な行為が、本来のあるべきすがた、宇宙の調和をみだすということもあるのだ。本来のあるべきすがた、宇宙の調和とはどういうことかというと、物事には何にでも原因がある。たとえば、体が弱いとか体質とかいった表面的な理由ではなく、病気になるのも、僕たちのように子供が逆子になるのも何かしら我々の心を気づかせる重要な真実の理由があるのだ。それは、食べ物であったり、心の悪い癖であったり、親から受け継いだカルマのようなものであったりする。つまり、安易な人間の選択というのは、我々の魂が物事の真実に気づく機会を奪ってしまうことがあるのだ。人生問題延長。つまり、僕はすべての現代科学や西洋医学を否定するのではない。日々、科学や医学の発達したこの便利な世の中を満喫し、その恩恵を有難く頂戴している。だだ、現代科学という価値観一辺倒の世の中では、あきらかに人間の本来の宇宙観が狂ってしまうのである。人生の問題を解き明かすのには限界があるのだ。瞬間瞬間を誠実に正直に一生懸命に生き、己の人生の本質に向き合ったものだけが、魂の旅人として人生の深い喜びと感動を手にすることができるのだと思う。確かに自然志向の人たちがもてはやす自然のお産の裏側には、自然志向を求めすぎるあまり、母と子の命を脅かすケースもあるらしい。そういう意味では、自然のお産というものは、現代人の僕たちにとっては生命の危険を伴うことであると覚悟しなければいけないのであろう。しかし、Y先生には、人生の格闘によつて得た、確固たる正しい宇宙観と世界観がある。西洋医学に奇跡の指先を持ったカリスマ医師がいるように、Y先生には現代医学の常識だけでは理解できない尊い人生観があるのだ。Y医院では、実際に現代医学で通常の分娩が不可能と診断されたほとんどの妊婦さんがこの上なく幸せなお産を行っている。それは、Y先生が出産というものの本来の意味・真実を知っているからである。本当に命の限界を越えて、生命の誕生というものに人生のすべてをささげているからである。中には僕たちのように想像を越える理由によって、残念な結末になってしまうこともある。しかし、それは、人生の悲劇ではない・・・むしろ最大の愛である。もし、この事実に興味をもつ人がいるならば、Y医院を体と心で知るべきであろう。本来人は、本当に自然とスルリと生まれるのである。過剰な現代医療は、数え切れないほどの生命の神秘・人生の不思議・宇宙の不思議を見えなくしてしまっているのが現実である。これは、決して生命を軽んじているのではない。むしろ、最大の尊厳で命を見つめているのである。薬もガンの切除も帝王切開も、すべてを否定しているのではない。ただ、物事の本質を発見し、そこに至った経緯に真実があるならば、すべての行為は正しいのである。そのとき、魂はとてつもなく輝きを増すのだ。しかし、それがない多くの現代人は、同じ事を何回もくりかえす、人生の感動と魂の覚醒に乏しい日々の連続になってしまうのである。

ゆきと出会って「雪が降るまち」を書いている頃、まさかこの題名の意味がこんな壮大なドラマを生むことになろうとは夢にも思わなかった。今、思い返してみても、誰がこんなにも巧妙に、筋書きを仕組んだのだろうかと不思議に思う。人生とは、何処かの誰かが糸をひいているのではないかとつくづく思うのである。

この話は、究極の愛の物語である。我々の心の奥の魂が求めている真実の話である。それは、人間のちっぽけな愛などではなく、我々人間をつつむ偉大なる宇宙の世界観。自然のお産や現代医学といった垣根を越えて、僕たちが今回出会ったすべての人たちと、愛と真実に生きるすべての人たちに、この物語をささげます。

                                        2007.6月吉日
| 雪が降るまち | 20:29 | comments(0) | - | pookmark |
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