アカシックとは、なにかというと、宇宙の意思、神の意志・・・
日本が神の国として、世界に知られているのは、そのためです。
人は、神と一体となることによって、その意思を知り、宇宙のすべてを知ることが可能なのです。まさに、アカシックレコードにアクセスするということです。
長い歴史の中で、日本人はそうして、自然と調和し幸せに暮らしてきました。しかし、現代は、様々な理由によってそれができない状況に置かれています。自分自身の中に神を取り戻し、宇宙とアクセスし、神の叡智をこの世界に下ろし示すことは、これからの新しい時代に必要不可欠な大切な事柄といえるのです。
さて、どうすれば神とつながることができるのか?現代人に今必要な要素は何なのかというと、女性性の解放と、女性性と男性性の融合です。本来女性というのは、宇宙とつながり神と一体の存在でした。歴史上の巫女、卑弥呼などは神の神託、宇宙の叡智をこの世界に下す役割でした。また、神道の最高位である天皇陛下というのは、古来よりそうして、日本という国を平和に幸せに導き続けてきたのです。「令和」になった今、そうした古来より何千年と続く天皇陛下の役割が、無事に引き継がれたことは、私たち日本国民にとってこの上ない喜びであるのです。
女性性は、ある時代から宗教によって、歪められてきました。本来の神聖さと美しさが歪められ、間違った世界観が蔓延してしまったのです。ある意味、時の権力者は、女性性の偉大さ、凄まじいエネルギーを知っていたからこそ、女性性をこの世の中から封印したのかもしれません。性を欲望のもの、良くないものと貶め、魔女狩りなどに代表される、宇宙の叡智を秘めた女性を弾圧しました。そうした世界に警笛を鳴らしたのが、ジョンレノンとオノヨウコであり、男性と女性のつながりの中に愛があり、宇宙のすべてがあることを示したのです。トム・ケニオン著「マグダラの書」にもあるように、イエスキリストが、この世界に愛を広め、様々な奇跡を起こしたのは、実は、妻であるマグダラノマリアのおかげなのです。マグダラノマリアは、キリストとの関係の中で、クンダリーニのエネルギーを使い、キリストの生体エネルギーを極限まで上昇させました。そして、キリストは、聖人となったのです。つまり、女性性が内包する生命エネルギーとは、言い換えれば宇宙エネルギーであり、この世界を形作っている愛そのものなのです。
私たちは、今、神を思い出す時期に来ています。そして、それは、女性性を思い出すことからはじまります。
以下、「永遠の一瞬」より抜粋
僕たらの体のつながりとは、まるで瞑想のようでした。欲ではないのです。目と目を見つめ合った瞬間に、何かがふたりをひとつにするのです。体はもはや心の確認に過ぎないのです。ふたりの体の中を何か尊いエネルギーが循環して爆発するような、稲妻に打たれたような感覚が永遠のようにつづく一体感の中、体の感覚が消えていく・・意識さえも消えていく・・そして、ふたりは光になったのです。この世の本質を見たのです。永遠を見たのです。
ふたりの魂がかさなる度に、空からの尊い何かが魂を洗うようでした。この世に奇跡を起こすのです。思った事が、その日の内に現実になるのです。物事が出来すぎているのです。この現実は、ウソっぼい・・ドラマよりもウソっぼいのです。どうして、行く先々でこうもラッキーが起こるのか?一発で探し物がみつかるのか?すぐ願い事がかなうのか?悪かった体調が瞬間的に回復するのか?ふたりの表情は、幼い子供のような無垢で尊い幼な顔になっていました。いつも、目の行くところがいっしょ、メニューを見れば、ふたり同時に百発百中で、最良の選択をするのです。駐車場が突然あいたり、レストランで最高の席があいたり・・こんな事、いつもいつも明らかにありえないのです。
違く離れていても相手の事がわかるような気がしました。相手が自分のことを考えているのがわかるのです。意識が遠くから飛んできて、その度に魂が感じるのです。ふたりの心と体は、何処かの宇宙で深くつながっているようでした。
明日もあさっても、たぶん今日と同じような一日が繰り返されるであろう僕たちの日々の生活。しかし、運命のふたりにとっては、明日、何が起こるか全くわからないのです。心が、あらゆる可能性の明日をつくるからです。ふたりにとって、世界はまさに今しかないのです。今をどう生きるかこそが、素晴らしい明日へつながっていくのです。一瞬に永遠を感じ、永遠につづく一瞬を今、生きるという事。
魂の片割れが、怠惰で平凡な日常生活を生きる喜びと奇跡に溢れた毎日に変えてしまいます。僕は、自分のまわりにある、あらゆる物を捨てました。世の中で素晴らしいといわれるものをはるかに越える大切なものを知ったからです。その代わりに、本当の自分らしさ、生きるという事、この上ない人生の喜び、愛、真実、永遠と一瞬を得ました。人は、何かを捨てるという事がなかなか出来ないものです。なくす事がおそろしいのです。しかし、勇気をもって、心の喜び、心が求める本当の気持ちに忠実に生きるとき、人生はあっという間に変容するのだと思います。世の中というのは、何でも起こるのです。自分の心次第で、人生は何でもありなのです。常識を捨て、自分自身を信じさえすれば、不可能な事はないのだと思います。
自分が変われば、まわりが変わり、人々の意識が変われば、世界は一瞬で変わるのです。愛と真実を、世の中の誰もが心の中に実感できるのです。永遠につづく一瞬の連続を、今、生きること。この一瞬に永遠が存在することを心の奥で知るのです。
「生きる」とは、誰かを愛する事。恋愛の愛ではなく、己の存在にかけて、世の中に無償の愛を注ぐということ。誰かの喜びのために、心を尽くすということ。自分らしさの精一杯の表現こそが、愛なのです。
人は、まるで旅人のようなもの・・この世の中をいつも心で感じながら、もくもくと生きている心の旅人。
人の心は宇宙・・人との関わりが、心をはるか遠くへと連れていきます。求める心が必然に、心の友を引き寄せるのです。運命の出会いにこそ、すべての始まりがあります。人との真剣な関わりの中で、愛と真実が生まれて、心の旅がはじまっていくのです。ふたりの心の宇宙を旅していたら、はずれのはずれへ行ってしまいました。そこには、何も存在しなかったのです。時間も空問も、生きている意味さえなかったのです。 しかし、この世のすべてがありました。ただ、質量をもたない一瞬が永遠につながっていたのです。僕たちは、そこで世界の本質を見たのです。この世の中で、本当に大切なものは、愛と真実だけでした。この世の中は、幻想のようなもの・・人も街もあるようでない。人の心がつくり出した幻のよう・・
僕は、今もこうして生きています。彼女が自分にしてくれた事を人にしているのだと思います。それが、僕が今、こうして生きている必然であり、我があるという事です。己を殺し、家のため仕事のために心を削り、本当の自分らしさをなくしていた心が、本当の自分を取り戻したのです。本物の心の自由・・自由な心は、何処にでもいけるのです。人の心の中にでも、宇宙の果てまでも・・それが、僕が得た人生最大の宝物です。最高の幸せなのです。
本来、人の心は自由なものです。幸せなのです。 悩みなんてないのです。そんなものがほんの少しでも、誰かの心に届くといいなーなんて考えながら、日々を今日も生きているのです。
以上、「永遠の一瞬」より。
精神的にも、物質的にもぼろぼろだった昔のことを考えると、今は、すべてが満たされていて、素敵な家やありがたい仕事があり、理想のパートナーがいて、ほしいものがそこそこ買えて、人生で一番楽しいのは、すべてクンダリーニのエネルギーのおかげだと思っています。かつては、ツインソウルとの体験でしか得られなかったような快感と宇宙の神秘が、ひとりでも体験できる時代になってきたのです。なんと、素晴らしいことでしょう。もはや、すべての人々がカルマや人生の悩みを超えて、楽しく幸せに心地よい暮らしを実現できる時代なのです 。そしてそれにはまず、セクシャリティーの正しい再認識が必要なのです。
]]>
さて、それではいったい、何が人間本来の健康を奪ってしまったのでしょうか?抵抗力や自然治癒力を弱めてしまったのでしょうか?
本来、食べ物とは、人間の健康を正しく維持し、体と精神をよりよく成長させるはずのものです。しかしながら、年々増大する医療費が示すように、現代人の弱りゆく体と病んでゆく精神、人々の健康は、もはやこの世の中から消え失せてしまったかと思われるほど悲惨な状態になってしまいました。
人間の本質とは、精神です。そして、その精神を最大限に働かせるのが、正常で健康な肉体なのです。健康な体であってこそ、精神がうまく機能する訳です。運動不足による肉体のゆがみや縮み、間違った食生活による血液や内臓の機能低下、本来摂ってはいけない物質の日常的な摂取、正しい人間の心を偽って生きざるを得ないややこしい現代社会のストレス、様々な要因が、現代人の体をむしばんでいます。
人は、体が健康であってこそ、正しく精神が機能し、本当に幸せな人生が送れるのです。
一体幸せな人生とは、何なのでしょうか?それは、「まわりの誰かが喜んで、幸せになること」なのかもしれません。何かをもらったとか、何かが美味しかったといった、目先の単純な幸せではなく、人生や価値観が全く変わってしまう程の、人間にとっての最高の幸せ・・・人は、そんなものを、どこかの誰かに与えることができるのではないかと思うのです。なぜならば、そういうことでしか、人にとっての最高の喜びは、実現されないものだからです。
誰かから教えられたのではなく、日々の生活の中から感じとった様々な真実・・・人は健康であってこそ、無限の精神を最大限に発揮することができるのです。
春になると、たくさんの人たちが苦しむ花粉症・・・
乳製品や砂糖・果物といった陰性食品が、花粉症を悪化させるのは、牛乳が人間の体には合わないからです。鼻水、くしゃみ、目のかゆみといった花粉症の症状は、人間の自然治癒力の表れであり、排出作用です。健康にとって必要ないものは、体が実にうまく反応するようにできているのです。
人は、健康であるほど、抵抗力や自然治癒力が高いほど、排出作用がよくはたらきます。人の体にとって、不都合な物質が、汗や熱、咳、湿疹などによって体外に排出されるのです。現代人は、毎日排出された分以上の体に不用な食べ物をとっているので、体調がどんどん悪くなったり、症状がいっこうに改善されないのです。体にとって正しい食事をとっていれば、不都合な物質が、体内に蓄積しないので、体は日々、どんどん本来の抵抗力を取り戻し、健康になっていくはずなのです。
正しい食事とは、宇宙の秩序にのっとった、マクロビオティックの食事法です。これを基本とすると、体は劇的に変わります。食事をマクロビオティックに切り替えただけで、毎年のひどい花粉症がうそのようになくなった人が、まわりに何人もいるのですから・・・
]]>落ち着いた館内には、至る所に洗練された生け花がいけてあり、川のせせらぎを聞きながら入る源泉かけ流しの内湯や露天風呂が11も点在しています。何もかもが、素晴らしいのです。
世間の人は、「男なら、こんなところへ人目をしのんで来てみたい・・・」なんて思うのでしょうか?男は、みんな浮気をするもの・・・なんて言いますが、はたしてそれは正しいのでしょうか?
今は何か、パートナー以外の人と深い関係をつくることは、時間とエネルギーの無駄なような気がするのです。ただ一人、人生のパートナーにめぐり会って、二人の心の距離が縮まり、思いを分かち合う時間こそが、人生において本当に幸せなことなのではないかと思うのです。そのために、人は生きているのではないかとさえ思います。明らかに、人生を共にしないであろう、人生の喜びを積み重ねないであろう人に、貴重な時間とエネルギーを割くのは、非常にもったいない気がします。どうせなら、その熱いエネルギーを大切なパートナーに注いで、二人の関係を深めるべきです。ただ一人の人と、素晴らしい思い出と喜びを積み重ねた時間の長さと重さの分だけ、二人は近づき分かり合うのです。人生においてかけがえのない幸せを得ることができるのだと思うのです。二人の関係において、様々な困難や問題を乗り越え、大きくなった心の大きさだけ、二人は幸せになっていくのだと思うのです。
嘘はつかない、浮気はしない、言葉に責任を持つ・・・など、人が生きていく上でとても大切なこと。心が健全かどうか?世界観が正しいかどうか?本当の健康とは、体が元気であるのと同じくらい、心の状態がどうなのかという事を問われるのではないかと思います。
]]>お肉を食べないのも、有機野菜を使うのも、白砂糖や添加物を使わないのも、すべては、宇宙と調和するためです。自然と調和しているものを食べることによって、血となり、肉となり、精神となる食べ物が、自分自身に調和をもたらすのです。なぜならば、大自然は、宇宙と調和して存在しているからです。自然=調和であるから、不自然なものというのは、世の中に不調和をもたらすのです。つまり、自然でない食べ物や人工添加物が、病気、精神の異常、犯罪といった、心身の不調和を人間にもたらしているのです。
つまり、マクロビオティックとは、いわゆるお肉を食べない健康法ではありません。調和した食事を続けていると、確かに体の不調和が改善され健康を取り戻します。しかし、調和した食事をとる事と同じほど、現代は宇宙と調和した精神の獲得が重要なのではないかと思います。調和した精神とは何かというと、この世界を正しく理解するための宇宙観・世界観です。人は、正しい宇宙観・世界観によって、はじめて、この世の中を正しく生きることができるのです。
食事にそれほど気を配っていないのに、素晴らしい精神性をもっている人が、世の中にいるのは、そのためです。そんな人は、知らず知らずのうちに、正しい世界観を身につけているのです。そういう人は、肉体が調和を求めるので、自然と調和した食事を好むようになります。
僕は、過度にこだわりすぎるマクロビオティックがあまり好きではありません。お肉を美味しく食べれるのに、頑なに食べない人。甘いものが大好きなのに、必死で我慢する人・・・その精神と生き方が、非常に不自然で調和していないのです。そういうことではなく、体や心が求めるものを食べることが、本当に自然なことであると思います。あくまでも、自然な形で調和していく方法が好ましいのです。自分自身の身と精神の丈に合ったマクロビオティックが素晴らしいと思うのです。
自分が、大自然と調和しているかどうかの判断は、普段の生活で無数の奇跡が起こっているかどうかで判断できます。結構なんでも思い通りになっていくとか、妙にタイミングが合うとか、なぜかいつもうまくいくとか・・・あり得ないことが、日々の生活の中に起こるほど、人は大自然と調和しているといえるのです。理由は、この世の中が、幻であるからです。世界のすべてが精神の想像であるから、世の中の事象はその人の調和度によって、どうにでもなるのです。
]]>
確かに、マクロビオティックの食事で、アトピーや喘息は、改善します。お客さんの中には、ひどい肌荒れや花粉症を食事だけで改善された人が何人もいます。魚や卵、乳製品を食べると、少なからず何らかの症状がでます。つまり、免疫力が高いから、症状というものが出るのです。免疫力が低ければ、明らかな症状があらわれず、それらは体内に蓄積され、あるとき、突然病気になるのです。
]]>自分のしたことが、お金や物や相手の感謝の気持ちで返ってくるよりも、もっと違う方法がいいからです。
世の中には株やギャンブルで儲けた人がいる分だけ、どこかに必ず損をする人がいるように、自分のしたことというのは、必ずどこかの何かに影響するものです。だから、自分のした良い行いというのは、たいてい、物やお金や感謝という形で返ってくるのです。
しかし、このお金や感謝というのは、その時自分が少々いい気分になるだけで、自分の人生にはそれほどたいした影響は及ぼさないものです。ところが、それらが誰にも知られず、感謝もされず、何も自分自身に返ってこなかったらどうなるでしょうか?これはもう、宇宙の調和の仕組みに反することになります。そこで、それらが、人生の徳として、自分に返ってくるのです。運がよくなったり、いいことが起こったり、人生が変わってしまったり・・・
だから、自分のしたことは、人に感謝されないほうがよいのです。目に見える何かのお返しをいただくより、宇宙の陰徳陽報で返ってきたほうが、ずーっと素晴らしいのです。
]]>
まずはじめに、「玄米を食べてみましょう」という課題がでました。5日間、玄米食をして、その感想と体の変化をレポートにまとめるのです。玄米はもうずーっと食べているのでどうしようかと思いましたが、今回は玄米断食をすることに決めました。朝ごはんは食べない。そして、冷やっこや簡単な和食を極少量以外、ほぼ玄米しか食べないのです。玄米菜食といえども、近年は仕事柄、ついつい食べ過ぎていたのです。おなかがペコペコになってからごはんを食べるという、本来のあるべき食事の姿からは程遠いものでした。それで、玄米のおかゆと豆腐半丁の玄米断食をやってみることにしたのです。西式健康法にならって、朝は食べない、動物性食品や砂糖、添加物、化学調味料を一切取らない精進食、もともと栄養価の高い玄米に、黒練り胡麻や昆布粉をかけてミネラル分をおぎなう完全食です。
1日目は、夜までおなかがすきません。やっぱり最近は、おなかがすいていなかったのに、お昼ごはんを食べていたのです。2日目、体が軽くなり、頭も非常にクリアになりました。数年ほど忘れていたあの心地よさ・・・近年の体の調子の良さは、偽物だったのです。しかしながら、断食にはつきもの体のだるさが非常にあります。人は、体の消化能力を超えた食事をとると、食べ物が腸内に停滞します。これを宿便といいますが、断食をすると、腸の中に停滞していた食べ物が徐々に消化されていくので、おなかが軽くなり、なかなか消化されなかった動物性食品が排出されはじめます。動物性食品は、体内に吸収されるとある程度の負担を内臓にかけるので、体がだるさを感じるのです。3日目、宿便がでて、体はいっきに軽くなりました。4日目から、やたらと鼻水がでます。これは断食の効果ですが、体にたまっていたいらないものが、排出しはじめたのです。玄米菜食といえども、時々はケーキを食べたり、カフェオレを飲んだりしていました。牛乳や生クリームは、鼻水として排出されることが多いのです。
体が軽くて気分がよく、気持ちがすっきりして幸せを感じます。あーっ、なんという素晴らしいこの感じ・・・少食というのは、こんなにも素敵なものだったのでしょうか!?「たとえ、オーガニックといえども、量は質を殺す」という言葉を何かの本で読んだことがありますが、まさにその通りだったのです。少食というのは、本当に大切であるなーっと改めて実感し、おなかがすいていないのに、ごはんを食べるのはいけないなーとつくづく反省しました。ところが、1週間経って、普通におかずを食べ始めたら、一瞬にして、あの軽くてすっきりした素晴らしい感じは、突然になくなってしまいました。
動物は、具合が悪くなると、しばらく何も食べなくなるといいますが、まさに体の理にかなっているのだろうと思います。今回の断食で感じたことは、体の調子が悪い時、玄米断食をすれば、一瞬にして症状は軽減されるだろうということ。一億総食べ過ぎ時代、たまには玄米と粗食の少食をしてみるのもいいものです。そうすればきっと、「本当の健康な体とはこういうものだったのか!?」と、目からうろこの感動体験をすることでしょう。おまけに、宿便がでて腸の中がきれいになるので、ビックリするほどおなかがペンペンになって、ズボンがブカブカになります。
]]>年をとるほど我が身にせまる病気のおそろしさ。まわりを見渡しても、「あそこが痛い」、「体の調子が悪い」という人の多いこと・・・そして、僕が住んでいるのは、風邪をひいて寝込むしんどさ、体の痛み、気分の悪さ、体の不具合のない病気とは無縁の世界。その上、精神は透きとおる感じがして、迷いや不快な気持ちがない。体が心地よいので、いつも明るく気分がよい。まさに、この世の天国です。
菜食とは、それ程素晴らしいのです。
爪や歯、消化器、消化機能など体の形態から、ヒトの食性は、本来植物食、特にでんぷん食であるらしいのです。ところが、作物の栽培が困難な寒い地方の乳肉への依存の大きいヨーロッパの代用食文化や、当時のドイツ栄養学にならった間違った食生活の普及による、ヒトの食性と風土と歴史に根ざした食生活の崩壊が、今日の様々な疾患を増大させてしまったのです。すなわち、ヒトの健全な食べ物とは植物を中心とした穀物菜食なのです。だから、健全な食物を食べている限り、人の免疫機能は正常に機能し、健康な生活をおくることができる訳です。実は本来動物というのは余程の事がない限り病気にはならないものなのです。
そして、万が一、何かの都合で病気になったとしても、先日から勉強させていただいている日本綜合医学会には、健康と食に関するあらゆる方面に精通したプロフェッショナルな先生方がたくさんいらっしゃいます。現代医学だけでは治らない、難病の数々が、様々な民間療法で次々と治っているのです。食べ物と健康の正しい関係に気付いた人たちだけが住んでいる、まさに天国の世界です。
ところが、世の中には、すべてが揃うということは、まずありません。この素晴らしい天国に住んでいる代わりに、普通の人たちに当たり前のようにあるものがなかったりすることが多いので、悪しからず。
]]>
十分に肥料を与えた植物と与えない植物を比べてみると、根の伸び方がずいぶんと違います。十分に肥料を与えた方は、土から上の部分は大きく育ちますが根は少ないのです。反対に、与えない方は、そこそこ育ちますが、根が大きく張っています。細胞を観察してみると、後者が整然と並んだきれいな細胞であるのに比べ、前者は細胞に奇形が多く、不ぞろいです。つまり前者の大きく育った植物は、不健康だったのです。これが現在世間に流通している一般的な野菜です。見た目は同じようでも中身は全くの別物と言えるのです。それらは、暑さや寒さに弱いので、冷害・干ばつによる被害が多く出ます。また、根の先端部分の根毛が正常に発達しないのでミネラルを十分に吸収できず、成長に必要なものだけを選択吸収する機能が働きません。害のある物質まで吸収してしまうのです。
植物の根毛にあたるものが、人間の小腸の絨毛・微絨毛です。食生活において、栄養のあるものばかりをたくさん食べていると、植物と同じようにこの絨毛が十分に発達しません。人体に有害な物質を避け、必要なものを選択吸収する能力が低くなり、体全体は大きく育ちますが、抵抗力や免疫力の低い不健康な人間になってしまうのです。反対に少食を続け体質が改善されると、病気知らずの健康な体になるのは、植物と全く同じ原理なのです。
ミネラルバランスが正しく整った健全な土壌から、植物へ、そして、人間へ・・・我々が日々口にする食べ物の選択が、どれほど人間の健康を大きく左右しているかということを理解できるでしょう。
土壌とは、単に岩石が砕けたものではなく、植物や動物、微生物の死骸が積み重なって造られたものであるそうです。有機農法といえども、土壌のミネラルバランスがどうなっているかで野菜の質は随分とちがいます。実は、「有機野菜は虫食い野菜」という認識は間違っていて、ミネラルバランスの悪化や肥料のやりすぎが植物を弱らせ、虫を寄せ付けているだけなのです。そもそも、農薬は植物が健康であれば不必要なのですから・・・なるべく肥料を減らして健康に強く育った植物を日々口にしてこそ、本物の健康な体になれるのです。自然農法は、その点、免疫力の高さや抵抗力、そして味が非常に優れています。お店で使っている野菜にも、自然農法の野菜を取り入れています。
]]>正義の味方というのは、仕事の中で実行されることが多いのですが、正義は人間関係において実践されるので、社会に対する働きかけが大切な訳です。また、正義の味方は、ウルトラマン的!?であることが多く、自分の善行を人に知られずひたすらに、世の中に施していくのです。
人を救うことにもいろいろな種類があります。大切なのは、その行いが生命の本質にどこまで触れているかということです。そういう人たちには、人生を助ける何らかの存在が宿っているのだろうと感じます。何かと困った時に、いろいろと助けてくれるのです。それは、その人が日々、世の中の困った人を深く尊く助けているからに他なりません。
自然のお産で有名な吉村医院の吉村先生は、日々、妊婦さんとその家族を救っています。自然のお産を手助けするということを超えて、無垢な魂と純粋な心を守っているのです。けがれのない魂を救っているのです。そしてそれだけでなく、日本人の心、伝統文化、人間らしさの本質までも取り戻そうと、日々、自らの命を削りながら生きているのです。大きな何かに、応援されないわけがありません。
エレファントカシマシの宮本氏は、音楽において、人生の意味と神秘をわかりやすい言葉で、深く濃く表現することに成功している数少ないミュージシャンです。
八尾の甲田医院の故甲田先生は、現代医療では解明されていない様々な病気の原因を究明し、治療不可能といわれる難病を数え切れないほど治してきた名医です。また、甲田先生が提唱している菜食運動は、現代社会がかかえる環境問題・食糧問題・経済の問題といった、現代人が今、直面している非常に困難な問題をいっきに解決する革命的な方法なのです。
普通ならば、徳を積めば積むほど、人は社会に評価されるものです。しかし、現代社会では、そういう人たちが一般大衆に評価されるまで、かなりの時間がかかります。つまり、なかなか評価されないということは、その徳のパワーが、あるとき突然まとめてやってくるということです。それが、宇宙のバランスです。それまでの地を這うような生活は、一般の人には想像できないほどの物質的なつらさと精神的な葛藤を伴うものですが、本質的に素晴らしい仕事をしているならば、応援してくれる目に見えない偉大な何かが、必要最低レベルの生活を保障してくれるので、なんとかなっていくものです。
世の中に不必要なものは何ひとつありません。それぞれの立場や環境の中で、すべての出来事が人々の魂の覚醒に効果的に段取り良く働いています。しかし、ここで問題にしているのは、人々の魂を救い、新しい世の中を作っていく正義の味方の人たちの話です。世の中の真実に比べれば、それ以外のものは、人生においてそれほど大した問題ではないのです。
]]>食にたずさわっている人は、食事と健康との正しい関係を理解するべきだと思います。また、健康にたずさわっている人は、健康と食事の正しい関係を理解するべきです。そうでないならば、人生において、仕事の役割の重要な部分を見失ってしていると言えるからです。
かつて、日本は多くの西洋人が絶賛してやまなかった美徳と健康と環境の大国でありました。何百年も何千年も、ずっと変わらず地域の風土と環境に根ざした伝統食を守ってきた結果、日本人は自然と宇宙に調和した、素晴らしい暮らしと生き方を実践してきたのです。
戦後、日本が急速に西洋化し、食べ物や文化や精神の伝統がすべて消えうせてしまった結果、それまでの日本人には稀であった癌や心疾患、脳卒中などの西洋の病気が急激に増加してしまいました。人間の正しい食事を検証したアメリカの上院議員のマクガバンレポートにより、アメリカ人の食事が改善され、癌などの病気が減少に転じているにも関わらず、日本ではいまだに増加の一途をたどっています。
人の本来の正しい食事とは、穀物を中心とした菜食であることが証明されています。もちろん、普段の食事が正しければ、たまには、お肉や魚、乳製品といった西洋的な食べ物を食べても全然平気なのです。正しい食事を続けていれば、ほとんど病気になることもないし、風邪さえひかなくなります。白砂糖をとらなければ、虫歯にもなりにくく、正しい食事が免疫力を高くし、病気やウイルスを寄せ付けないのです。国の税収を上回るような、常識を超える程の医療費の増加も、個人個人が食事の改善によって、劇的に病気を少なくし、解決することができる問題なのです。
私たちが正しい食と正しい健康を国民に示す事ができれば、日本は救われることでしょう。日本人の正しい味覚を取り戻し、伝統文化を取り戻し、日本人の美徳を取り戻し、かつての素晴らしい日本を再生することができるのです。
昔の日本人は、現在の散々足る日本の現状を嘆いているに違いありません。日本人の魂は、我々を通して、日本をかつての素晴らしい国、「日本」へ経ち帰らせたいと切望しているのだと思います。我々は、その期待に答えるべきです。そのために、我々は生きているのだとさえ思います。今、この危うい危機的な現代に生きる人間として・・・
人々は、今、食と健康の正しい関係を学ぶべきなのです。
]]>日本人の死亡原因の第1位になってしまった癌・・・ところが、癌自体が直接体に悪影響を及ぼすかというと、そうではないのです。たとえ、初期の癌が体内に見つかったとしても、日常生活に何ら影響はありません。癌が大きくなり、臓器や神経の機能が正常に働かなくなるので、本来の体調の維持が難しくなって健康を害する訳です。
癌とは、一体何かというと、肉や魚、卵、乳製品など動物性食品の毒、砂糖の毒が体内で一か所に集まって固まったものです。本来、体に不都合な食べ物というのは、抵抗力の排毒作用により体外に排出されます。ところが、現代のようなストレス、動物性食品中心の食生活、食べすぎと言った現代人の生活スタイルが、本来あるべき生命力・自然治癒力を著しく低下させているのです。
体というのは、非常に繊細かつ、機能的に出来ています。体内に入った体に不都合な過剰物質というのは、粘液として体内の各所に蓄積されます。それにより、正常な血流や内臓機能が阻害され、病気や疾患として現れる訳です。ですから、癌というのは、言うなれば、人体に害のある毒素をひとところに集めて生命を維持しようとする、自然治癒力のひとつと言えるのです。
正常な体というのは、生命力が高く、自然治癒の力が十分に発揮されています。ですから、少々、体に不都合な食べ物が体内に入ってきたとしても容易に排出される訳です。排尿や排便、呼吸、発汗というのは、日常的な排出作用ですし、咳や湿疹、下痢なども毒素の排出作用です。熱がでるのも細菌を熱で死滅させるためです。動物や子供が、体調の悪い時、何も食べずにひたすら寝込むのは、毒素の排出作用にエネルギーを集中するためです。体内に毒素を入れるのを止め、出すことだけに専念するのですから、体調が良くならない訳がありません。少食にし、断食をすると、あらゆる病気の症状が劇的に改善されるのは、体内の排毒がスムーズに行われるからです。現代医療では治らない難病といわれる病気が、断食によって完治している事実は、この生体の排毒作用にある訳です。
ですから、癌を治すには、まず、一切の動物性食品と砂糖・果物などの甘いものをやめ、生命力・自然治癒力を高めるような食事に切り替えることです。食品添加物・農薬といった成分は、人体の生命力を著しく低下させています。また、精神や心の健康に悪影響を与えるような生活環境をやめることです。現代医療においても、笑いを治療に取り入れ、癌の治療に著しく高い実績を挙げている病院があるのも事実なのです。
また、先日は、現代医療の最高機関、WHO(世界保健機関)が、抗がん剤では癌が治らないということを発表しました。著名な医療関係者は、抗がん剤を使わずに癌の治療を行っている患者の方が、余命が長いという研究結果を発表しています。
癌とは、我々現代人が常識的に考えているような病気ではありません。事実、アメリカでは、かつての日本人に習った野菜中心の食生活への転換によって、癌の死亡率が減少しているのです。西洋的な食生活が日本に入ってくる前、日本人に癌という病気はありませんでした。私たちの食生活と生活スタイルを改め、体質の改善を計ることにより、抵抗力が高く病気にならない、本当に健康な体をつくることができるのです。
]]>これは、ある意味世界経済の動きが最終段階に入ったとも言えるのです。
すなわち、新しい経済秩序が構築される壮大な計画が大詰めに入ってきたということです。
また、世界ではベーシックインカムが議論されています。これは、私たちの生活のすべてを政府にまかせるということです。
国民の事を真に思う素晴らしい指導者の元でのベーシックインカムはまさに理想の世界です。
しかし、現実は、それらとは真逆の方向に動いているのが現代社会です。
食料、水、電気、貨幣・・私たちの生活に不可欠な大切な要素の多くが、改悪どころか壊滅的な打撃をうける可能性が高まっています。それは、なぜかというと、それが、世界経済が進めている巧妙な流れのひとつだからです。
実は、日本の政府が悪いのではないのです・・・原因は、世界経済の指示、それだけです。
今、現在、私たちの生活がいくら快適であろうとも、何らかの準備をはじめなくてはいけないと考えています。
近年中に、郊外の自然の中で、なるべく世界経済や世界情勢に左右されないような自給自足的な、かつ現代的で快適な新しい生活スタイルを作り上げる必要があると考えています。
]]>