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愛と神(1)

愛が、誰かに届くとは、どういうことでしょうか?

 

人は、生きていれば、呼吸をし、言葉を発し、行動します。

毎日毎日、人は心の意思にもとづいて、人生を生きているのです。

 

さて、意思とは何でしょうか?

心、自分の気持ち、魂、エゴ、神さまのみちびき・・・

心の中から、湧き出ては消えていく人の思いとは、何とも不思議なものです。

 

実は、私たちの気持ちというのは、神さまの愛と自分自身の自我(エゴ)という2つの思いが、混ざり合ってできているのです。例えるならば、愛の民族である葛城氏と自我の民族である藤原氏の葛と藤から、「葛藤」いう言葉ができているように、人の心にも、愛と自我のせめぎあいが存在しているのです。(実際は、天津神と国津神であり、本来同族であります。)

 

ちなみに、ここでいう神さまとは、宗教的な神さまとか、目に見える神さまということではなく、我々人間を正しい方向へ導いてくれる大いなる何か、偉大な存在という意味です。神、仏、天照大神、イエス・キリスト、宇宙・・・何と表現してもいいのですが、ここでは神さまという言葉を使います。

 

愛は、私たちの日常生活で、この世の中にどのように現れるかというと、楽しさ、ワクワク、感動、気持ちいい、幸せ、奇跡というものが、愛エネルギーが、この現実世界に表現された証であるのです。それらは、自分自身の生き方が正しいという神さまの証明書といえます。

反対に、自我は、苦しい、悲しい、病気、ストレス、恐怖、不調和といった現象で現れます。その時、人は、神さまからの警告を受け取っているのです。つまり、それらの現象というのは、自分自身を改めるサインであり、大きな意味では、これらも、愛の一部と言えるものです。

 

つまり、世の中というのは、すべてが愛でできているということがわかります。

 

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