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日本の夜明け(14)

日本の神道は、古来、3神を祀っていたと言われています。京都の太秦、蚕(かいこ)の社にある三柱鳥居が、藤原不比等の時代まで、全国すべての神社に存在したことからも、日本の神が古代ユダヤの神と同一であることがうかがえます。現代にいたるまで、3神を祀っていたのは、ユダヤ人原始キリスト教と古来の日本神道だけだったのです。

 

日本に、古代ユダヤ人が入ってきたのは、紀元前6世紀ごろ、秦の始皇帝の勅令を受けた徐福という集団、すなわち物部氏であることが、丹後の古社、籠(この)神社の秘伝によって明らかになっています。第82代宮司である海部氏こそ、日本最古の統治国・倭国を治めた古代天皇の末裔であり、本来、海部(あまべ)は、天部であり、天が天皇を意味する通り、由緒ある血統を今に残しているのです。また、籠神社に伝わる「海部氏系図」は国宝に指定されており、邪馬台国の女王卑弥呼、天照大神を伊勢神宮におさめた倭姫は、海部氏の血筋であることが判っているのです。籠神社で実際にお会いした海部宮司は、秘伝の2/3は口外できない内容であると言っていました。

 

その後、朝鮮半島の新羅から日本へ渡った扶余族の王、沸流(ふる)が、初代天皇神武天皇として、大和朝廷を開いたのです。古事記に見られる「国譲り神話」が、これにあたるものであり、大きな争いや混乱がなかったという神話の物語は、物部氏と秦氏が同族、つまり、古代イスラエルのユダヤ人を祖とする集団であったからです。秦氏一族は、国を引き継ぐ代わりに、古代イスラエルの三種の神器のひとつ、マナの壷を海部氏に献上しました。丹後、籠神社には、代々宮司が変わるとき、この黄金の壺を祭壇に祀り、薄く削った金箔を屠蘇として飲むという儀式が存在していました。その後、マナの壷、すなわち、籠神社の真名の壷は、元伊勢である籠神社から伊勢神宮の外宮に移され、正殿正中の真下に存在する地下神殿に納められています。邪馬台国までの古墳が、小規模なものであったのに比べ、第15代応神天皇の時代になると、急激に巨大な前方後円墳が出現します。これは、まさに、籠神社の真名の壷であり、その形状・取っ手の形まで、忠実に再現された姿になっています。古代イスラエルの三種の神器、マナの壷は、選民古代ユダヤの血統を表す栄光の象徴であり、渡来民族、秦一族の威光を当時の民衆に示すための巨大シンボルであったのです。

 

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