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人生マクロビオティック(17)

自然な食べ物

世の中には食事のことを知識だけで、難しくと語る理論重視の自然食指向の人たちや(僕!?)、認識不足から食をおとして体の調子を壊している人が多い。肉や砂糖を食べてもどうって事がないのに頑なに肉や砂糖を食べない人。食べたいケーキやお菓子を自分はマクロビオティックだからと我慢する人。環境のため、世界の貧困な人のためといって自ら過剰に食事を制限する人・・・なんか自然でない。

欲でなく、食べたいものを食べている人がいい。自分自身に一番ピッタリな食べ物。確かに日々の食事で体は変わる。心も変わる。ところが、度を越えて偏った食事習慣、自分の心や体とバランスのとれない不自然な食事というのは何かしっくりと来ない。「砂糖はダメ。肉はダメ。」というそのこだわりの心と偏った思いが、その人自身の心をしばっているようで仕方がない。

そういう事ではない、自分自身にしっくりとはまる自然な食事。本当に体と心が求める食べ物。人は何かに気付いて、今までの自分を改めるたびに心が変わっていく。その度に、体が求めるエネルギーの質が変わっていく。より波動の高いエネルギーを求めるようになるのだ。

心と体はつながっている。体が変われば心も変わる。心が変われば体も変わる。食べ物は存在そのものである。生きている意味である。その人自身の生き様である。愛そのものである。





易とは東洋の科学である。現代の先端科学が行き詰まってしまった様々な難問、矛盾・・・「宇宙とは何か?」「我々はなぜ生きているのか?」「時間とは何か?」「空間とは何か?」科学がまだ付きとめる事ができない、形而上学的な森羅万象の事象を理論的に説いたものを東洋の科学、「易」と言うらしい。勿論この中に西洋的な物質文明、西洋的な唯物科学も含まれる。我々が知る科学とは、範囲を限定的にした言わばほんの小さな点のような知識や認識にすぎないらしい。現代の様々な宗教、思想、原理、超魔術的なキセキは唯心的で科学ではない。現代も世界中で繰り返される戦争の多くは、いわゆる西洋的な唯物科学と東洋的な統合的な宇宙観の偏った唯心的解釈の対立であることが多いのだ。桜沢如一が言うには、「精神世界、無限の世界を信じるものと物質の世界、有限の世界を信じるものとの血まみれた闘争の歴史であり、言い換えるとひどい近視と精神の目くらの意見の衝突、戦争であった。」というのだ。

統合的な宇宙観は全てのものを受け入れる。いわゆる、「愛」である。日本人は自らの文化と精神を捨て去ってまで西洋文明を受け入れた。我々が見ているものは、日本人のすべてではない。我々日本人は、はたして何処へ行くのか?西洋的な物質文明が行き詰まるときをただ待つのか・・・「豊かさ」という一見理にかなった呪文を唱えながら、我々は今日もこの日々を生きている。東洋の科学を遠い昔に置き去りにしたままで・・・



人生マクロビオティック

生きるとは呼吸である。いわゆる、体全体が行う生命の呼吸、日々、細胞で行なわれる生と死の営み。人にとって、生命にとって必要なものを体内に取り入れて、いらないものを体外に排出する。口から空気を吸って二酸化炭素をだす。食べ物を食べてそのカスをだす。誰かにもらった優しさや愛を、また誰かにあげる。親が自分を一生懸命、愛情を込めて育ててくれたように、自分の子供を大切に育てる。

今まで自分が食べてきた食べ物が、現在の体となり、健康や心のすこやかさを左右する。今まで自分が人にしてきたこと、生き様が、自分自身の心の幸せ感を決めていく。世の中にはすべてのものに因果があり、原因と結果がある。物事には必ず、相反して相対な陰と陽があるのだ。

呼吸を整えると体が変わる。そして人生が変わる。呼吸はいかに息を出し切るかが大切だ。息を吐き切ればおのずと新しい空気が胸の中にいっぱいに入ってくるから。すべての物事を出し切ってこそ、また新しい何かがはじまるのだ。(今、この瞬間を生きるということ。今を生き切ると、また新しい自分がうまれる。この魂にかけた愛を精一杯、世界に注ぐということ。生命というのは、日々瞬間瞬間に生死を繰り返している)

「捨てる美学」と言う言葉がある。我々現代人は様々なものを、今あるものに積み重ねてきた。捨てる事への恐怖が、人生に様々な弊害をもたらした。ところが、健康、経済、科学、その他様々な事象がいずれそのうち破綻してしまうことは明白である。今、我々はかつての日本人の持っていた食生活、生活観、宇宙観にたちかえるべきである。生活も幸せも家族も経済も、調和した穏やかで安定して満たされた暮らしと心にたちかえるべきである。

マクロビオティックは、体質改善の食事法ではない。疲れてしまった我々の心と体を健康なものに戻すひとつの生理学的な側面であり、人が生きていく上で大切な何かを心の内にやどすキセキの道しるべなのだ。



心の宇宙

人は変わっていく。呼吸をするたびに、一呼吸のたびに新しい何かを人は体に取り入れていく。人は日々、瞬間瞬間新しくなっていくのだ。この世の中には今しかない。過去も未来も実はない。ただ、一瞬前とは確実に違う、自分自身とこの世の中が存在するだけなのだ。(人には、記憶というものがあるので、何か過去があったように思うが、そのようなものは、次の瞬間にはもうこの世界に全く存在していないのである)

まわりのものは実はない。我々の思いが作り出した幻想にすぎない。思いが変わればまわりのものが一瞬で変わってしまうから・・・心の宇宙を生きている人には、それがよくわかるはずだ。意識こそが宇宙。この世のすべてだ。(この世の中は、大工さんや建設会社が作ったと思われているが、本当はそうではない。本当は、寝ているのか、起きているのかもわからない程の超リアルな夢のようなもの・・・いつか、本当に目が覚めたときにそれがわかるだろう。それが寿命。生きているときに、目が覚めてしまうのが、いわゆる「悟り」)

死は今もここに存在している。死の自覚こそが自分自身を生きるということだろう。我々は、死に向かって生きているのではない・・・生の終わりに向かって生きているのだ。死はずっと存在している。死を心の奥に感じながら、この生を生きることにこそ、本当の意味がある。

この世界が幻であるからこそ、僕たちは一生懸命にこの生命を燃やして、この現実をただもくもくと丁寧に、大胆に魂の限りに生きていかなければならないのだ。

愛はこの世界に満ち溢れている。愛こそが宇宙そのものの正体だ。愛は我々をあるべき場所へ導いてくれる。食事を変えて、生命力の高い食べ物、波動の高い調和した食べ物を食べ続けていると、僕たちの体は知らぬ間に宇宙に近づいていくのだ。そして、本当の愛を知っていくのだ。(だから、人それぞれの普段口にしている食べ物で、その人自身、すなわち愛の深さが多少なりとも理解できるであろう。)

マクロビオティックは誰の心の中にもある。人は誰もすべてを知っている。そのことを思い出せばいい・・・自分がここにこうして存在している理由を。人が生きている意味を。誰かを愛する意味を。

生き方としてのマクロビオティックを通して、本当の自分自身を思い出せばいい。愛にもう一度、立ち返るだけでいい。心のあらゆるアカを取り去ると真実が見える。

| 人生マクロビオティック | 19:57 | comments(0) | - | pookmark |
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