あとがき
 あれからもう随分と月日がたった。今ではゆきもすっかりと元気を取り戻し、ゆきまつのおかげで(!?)オープンした新しいお店の切り盛りにあわただしい日々を送っている。
このエッセイ「雪が降るまち」は、ゆきと出会って4日目に書きはじめた「雪が降るまち2004」、ゆきとの幸せな生活を書いた「おだやかな日々」、自然なお産に取り組んだ「幸せなお産」の3作をまとめ直したものである。

ゆきまつが亡くなった冬は、法事で家族が集まるたびに、ゆきまつを思うたびに、決まって雪が降った。陽がさす晴天の空からでさえ、キラキラと雪はまった。この空にゆきまつがいる事をみんなが感じていた・・・
ゆきまつは僕たちを結びつけてくれただけでなく、家族・友人・Y先生にまで人生の導きと魂の覚醒をもたらしてくれたのである。ゆきまつは、僕たち人間の心に光をあててくれたのだと思う。とんでもない大仕事をして、空に帰ったのだと思う。ゆきまつがなくなった事は、たぶん僕の人生で一番の悲しみとなるだろう。しかし、僕はあのとき泣けなかった・・・なぜならば、ゆきまつの存在、そしてゆきまつが世界に施した愛があまりにも大きかったから。ゆきまつの偉大なる愛のキセキに感謝することしかできなかったから・・・

確かにあのとき、僕たちは現代科学の力によってもっと早く安全に子供を出産することができたかもしれない・・・しかし、人の生き方というのは、それだけではないのだと思う。人間の意識的な行為が、本来のあるべきすがた、宇宙の調和をみだすということもあるのだ。本来のあるべきすがた、宇宙の調和とはどういうことかというと、物事には何にでも原因がある。たとえば、体が弱いとか体質とかいった表面的な理由ではなく、病気になるのも、僕たちのように子供が逆子になるのも何かしら我々の心を気づかせる重要な真実の理由があるのだ。それは、食べ物であったり、心の悪い癖であったり、親から受け継いだカルマのようなものであったりする。つまり、安易な人間の選択というのは、我々の魂が物事の真実に気づく機会を奪ってしまうことがあるのだ。人生問題延長。つまり、僕はすべての現代科学や西洋医学を否定するのではない。日々、科学や医学の発達したこの便利な世の中を満喫し、その恩恵を有難く頂戴している。だだ、現代科学という価値観一辺倒の世の中では、あきらかに人間の本来の宇宙観が狂ってしまうのである。人生の問題を解き明かすのには限界があるのだ。瞬間瞬間を誠実に正直に一生懸命に生き、己の人生の本質に向き合ったものだけが、魂の旅人として人生の深い喜びと感動を手にすることができるのだと思う。確かに自然志向の人たちがもてはやす自然のお産の裏側には、自然志向を求めすぎるあまり、母と子の命を脅かすケースもあるらしい。そういう意味では、自然のお産というものは、現代人の僕たちにとっては生命の危険を伴うことであると覚悟しなければいけないのであろう。しかし、Y先生には、人生の格闘によつて得た、確固たる正しい宇宙観と世界観がある。西洋医学に奇跡の指先を持ったカリスマ医師がいるように、Y先生には現代医学の常識だけでは理解できない尊い人生観があるのだ。Y医院では、実際に現代医学で通常の分娩が不可能と診断されたほとんどの妊婦さんがこの上なく幸せなお産を行っている。それは、Y先生が出産というものの本来の意味・真実を知っているからである。本当に命の限界を越えて、生命の誕生というものに人生のすべてをささげているからである。中には僕たちのように想像を越える理由によって、残念な結末になってしまうこともある。しかし、それは、人生の悲劇ではない・・・むしろ最大の愛である。もし、この事実に興味をもつ人がいるならば、Y医院を体と心で知るべきであろう。本来人は、本当に自然とスルリと生まれるのである。過剰な現代医療は、数え切れないほどの生命の神秘・人生の不思議・宇宙の不思議を見えなくしてしまっているのが現実である。これは、決して生命を軽んじているのではない。むしろ、最大の尊厳で命を見つめているのである。薬もガンの切除も帝王切開も、すべてを否定しているのではない。ただ、物事の本質を発見し、そこに至った経緯に真実があるならば、すべての行為は正しいのである。そのとき、魂はとてつもなく輝きを増すのだ。しかし、それがない多くの現代人は、同じ事を何回もくりかえす、人生の感動と魂の覚醒に乏しい日々の連続になってしまうのである。

ゆきと出会って「雪が降るまち」を書いている頃、まさかこの題名の意味がこんな壮大なドラマを生むことになろうとは夢にも思わなかった。今、思い返してみても、誰がこんなにも巧妙に、筋書きを仕組んだのだろうかと不思議に思う。人生とは、何処かの誰かが糸をひいているのではないかとつくづく思うのである。

この話は、究極の愛の物語である。我々の心の奥の魂が求めている真実の話である。それは、人間のちっぽけな愛などではなく、我々人間をつつむ偉大なる宇宙の世界観。自然のお産や現代医学といった垣根を越えて、僕たちが今回出会ったすべての人たちと、愛と真実に生きるすべての人たちに、この物語をささげます。

                                        2007.6月吉日
| 雪が降るまち | 20:29 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまつ8-4
僕の心に降り積もったゆきが君をよんだ・・・
あの雪が降るまちで 僕たちが君に出会えたこと
君が僕たちにくれた・・・
幸せをくれた 至福のときをくれた
永遠の約束をくれた

この町に雨が降る・・・
世界をあらう雨が降る 息吹の春をよぶ雨が降る
凍てついた山も町も 春を待っている
やがて 雪はとけ 川となり大地をうるおしていくだろう
世界の隅々へしみていくのだろう

そして 世界にまたひとつ
幸せがうまれようとしている



妙な話だが、ときどき未来の記憶が頭をよぎることがある。何か前世でおかした因縁を、また繰り返すような妙な想念だ。それを意識的に気をつけたり、人に話したりすると、たぶんそうはならずにすむのかなーとも思う。

「ゆきまつが遠くへ行ってしまうこと」「僕とゆきが離れてしまうこと」・・・ 僕はこの半年、何度となく妙な想念を見ていた。最初はそれが何だかわからなかった。しかし、今、明らかに思う。ゆきまつが、自分の命をかけて、僕とゆきを今世こそ結びつけてくれたこと。僕たちは、ゆきまつがおなかにやどってくれたから、結婚できたようなものなのだ。
人間というのは調和していればしているほど、自らの運命を生きることになるのであろう。自らが3日と決めた命を他のだれも操作することは出来ないのかもしれない。宇宙のリズムがゆきまつを遠い空へ導いたのだと思う。あの不幸な事故によってゆきまつは遠くへ行ってしまったけれど、ゆきまつは、今も、僕とゆきの体の中にいるのかもしれない。僕たちふたりと一緒に人生をすごすのかもしれない。昨日まで、僕たちの腕の中で、安らかに眠っていたことが、もう遠い昔のことのように感じられる。

もう少ししたら、また以前のようなゆきとふたりのあわただしい大阪生活がはじまるだろう。僕たちは、ゆきまつがおなかの中にいた11ヶ月と一緒にすごした3日間、この上ない幸せを感じていた。そして今も、悲しみの淵の中で心に得体のしれぬ温かさをいだいている。この思い出は、絶対忘れない・・・忘れられない・・・すばらしい出来事だった。ゆきまつと三人ですごした、驚きと感動と冒険の日々が、きっと僕たちをもっと素晴らしい場所へ連れて行ってくれると信じているから。
あの雪が降る町で、僕たちが君に出会えたというキセキの日々を越えて・・・


                                         2005.12.15
| 雪が降るまち | 00:11 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち8-3
 僕は沈黙の淵にいる・・・
僕はありふれた言葉をなくしてしまった
日々の生活をかざる言葉をなくしてしまった

僕は静かの海にいる
世の中のあらゆるものが意味をなくしてしまった
日々をかざる虚偽をなくしてしまった

意味をなくした僕の世界がくずれおちて
心がそのまんま裸になった
僕の世界がそげた・・・



どんよりと曇った冬の空のように
僕の心に灰色の雲がかかっている
ひくくたれた分厚い雲の隙間から
さしこむ日の光をまっている
ただじっと 遠い息吹の春をまっている

悲しみの淵のまん中で
それでも心に得体の知れぬ幸せをいだいている

何もなかったかのように いつもの景色がすぎていく
今日も見たことのある一日がはじまっていく
まるで深い眠りからさめた遠い日の記憶のように
また おだやかな二人の生活がはじまった
ただ 忘れえぬ心の痛みと
君がいた動かせぬ記憶をこの世界にのこして
| 雪が降るまち | 14:13 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち8-2
 次の朝、僕は何もない、雲ひとつない、ぬけるような真っ青な空を見ていた・・・この青い空にゆきまつがいるのを感じた。


何もない青すぎる空を一羽の鳥が飛ぶ
冬の寒さが体に凍みるのではない
ぽっかりと空いた心の穴に
青すぎる空がしみるのだ

この青い空を僕は知っている
父との確執 母との軋轢の日々を超えて
やっとたどりついた家族の絆・・・
初めて母と二人で旅した晩秋の京都でみた
真っ赤なもみじと雲ひとつないぬけるような紺碧の空

父が遠い空から僕たちを見ているような気がした
幸せに満ちた奇跡の青すぎる空から



僕は魂をこめて祈ったけれど
君は遠い空へ旅立ってしまった

僕は最後まで信じていた
君はきっと僕たちのところへ戻ってきてくれると
三人で愛と冒険の日々がはじまると・・・

「神様 僕は君の旅立ちを受け入れるのか?」

真っ赤なまんまるい夕日が僕をみていた
神様が高い空の上から運命の糸をひいているようだった
君が僕たちにくれた幸せな三日間を心にかみしめていた
| 雪が降るまち | 14:43 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち8-1
 2005年 12月11日 岡崎にはじめて雪が降った朝、ゆきまつはうまれた。「言うてた事とちがうやん・・・なんで出すねん。」といわんばかりに、口をとんがらせて不満げな表情で・・・それでも、僕たちにはそれがこの上なくかわいかった。
2005年 12月13日 ゆきまつが死んだ。出産を終えたばかりの疲れきったゆきが居眠りをしてしまって授乳中に胸の中で起こった不幸な出来事・・・生まれた日と同じように、また、雪が降っていた。ゆきまつを抱いた車の中、降り続く雪が僕たちに「さよなら・・・」と語りかけているようだった。
心から何かが抜け落ちていくのを感じた。

しかし、僕たちにとって、この上なく幸せなお産だった・・・ゆきまつが3日間、僕たちのところへやって来てくれた。いつもの古屋の見えるY医院の心地よい部屋の中で、僕は、おだやかに眠るゆきとゆきまつをみていた・・・幸せを感じていた。
ゆきまつは、僕たちの最高の幸せの瞬間に、何も言わずにひとりで静かに遠い空へ旅立ってしまった。まるで、運命が仕掛けた時限爆弾のように、ひっそりと安らかに僕たちの手の届かないところへ行ってしまった。

ゆきまつは、僕たちに幸せな3日間をくれたのかもしれない。本来ならば、ゆきまつはゆきのおなかの中でなくなっていたのかもしれない・・・「お産は、宇宙が決めること。なくなる命もある・・・」今さらながら、Y先生が日頃から口にしていた言葉が思い出される。Y先生が僕たちにくれた3日間・・・陣痛の間、2万人の赤ちゃんをとりあげたY先生には、ゆきまつの声が届いていたのではないだろうかと思う。己の運命を知りつつ、ゆきまつは僕とゆきのあいだにうまれて来てくれたのか?最後の瞬間にさえ、ゆきまつは僕たちに生きる希望をくれた。蘇生処置の間中、僕はゆきまつの小さな小さな手をにぎりしめていた。ゆきまつの小さな胸は、確かに脈打っていた。総合病院の救急隊が到着し、Y先生がゆきまつから手を離したとたん、鼓動がやんだ・・・命の火は、きえた・・・
| 雪が降るまち | 20:20 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち7-5
 大病院でゆきは、手首にバーコードをつけられ手術室へ入っていった。時間どおりに手術は終わった・・・何もかもがピカピカであらゆる設備が整った最先端の病院のなかで、看護婦さんが忙しそうに診察をくり返していく。
この世界をつつむ東洋の宇宙観(易ともいう)に比べれば、現代科学という形而下学的事象というのは、ほんの些細な認識でしかないのだろう・・・物質的な幸せを追求していたあのころ・・・行き着いた先に幸せはなかった。すべてを捨ててたどり着いた心の宇宙の果てに、この世界の幸せがすべてあったのだ。

人は旅人・・・この世の中をいつも心で感じながら、もくもくと生きている心の旅人。
人の心は宇宙・・・人とのつながりが心をはるか遠くへ連れて行く。人との出会いは、この広い宇宙で点と点が出会うようなもの。求める心が必然に魂の友を引き寄せる。
人との出会いにこそすべてのはじまりがある。人との真剣な関わりの中で、愛と真実がうまれて心の旅がはじまっていく・・・
心の宇宙を旅していたら、はずれのはずれへ行ってしまった・・・
そこには何も存在しなかった。時間も空間も生きている意味さえ何もなかった。しかし、すべてがあった。ただ、質量をもたない一瞬が、永遠につながっていた。
この世界は、人の心が作り出した幻のようなもの。人も街もあるようでない。
この世界で、本当に大切なものは、愛と真実だけだった。

人はやがて、物質社会にはない本当の幸せを知るだろう。そんなときがやがてくるだろう。世の中には、そんな真実の宇宙へとつづく魔法の扉がところどころにあるのだ。実は、ありふれた日々の暮らしの中のあらゆるところにあるのだ。その扉は、目では見えない。心で感じるしかない。あらゆる心のこだわりと欲を捨て、心を空にするとその扉がみえる。心の宇宙を旅する魂の旅人だけが、その扉を開けることができるのだ。
Y医院とは、いわばそんな宇宙への入口の扉・・・一ヵ月を超える、僕たちの旅はおわった。
| 雪が降るまち | 16:28 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち7-4
 陣痛が来てからもう3日目、苦しんで苦しんでやっとの思いで、もう後はゆきがいきんで赤ちゃんを外へ押し出すだけのところまで来た。ところが、最後の陣痛が来ない・・・ゆきの体力はもう限界だったのかもしれない。Y先生の苦渋の選択で、総合病院への転院を決めた。近代医療で、ゆきまつは無事うまれた。ゆきは、出産を終えた。
ゆきは、大阪の病院で「あなたの骨盤ではこの大きな頭の赤ちゃんの自然分娩は無理だ。」と言われていた。しかし、自然の摂理、Y先生の哲学を信じ、僕たちは岡崎へ来た。ゆきと出会った当初に、何でもわかる霊能者のような人に言われた言葉が思い出される。「この赤ちゃんが、あなたたちを結びつけてくれたんやよ・・・あんたたちは、引き離された前世の約束で今、出会った。」たしかに、ゆきまつを妊娠しなければ、互いの仕事のことや生活の事で本当に結婚していたかは定かではない。前世の縁で出会ったという非常に稀有なふたり・・・ゆきまつは、自分の生命をかけてでも、僕とゆきを結びつけるために生まれてきてくれたのだろうか?
「私は、一週間ずっと夜も眠れずに考えつづけた・・・今までとりあげた二万例の赤ちゃんの中で、これほどに予定日が遅れても非常に元気な赤ちゃんはめずらしい。にもかかわらずいっこうに出てこない。私は、赤ちゃんが、僕をたすけろ!と言っているようで仕方がなかった・・・」逆子はお尻が出て、大きな頭のところで詰まってしまったら、もうおわりなのだ。ゆきまつは僕たちを引き合わせるために、この世の中に生まれてきてくれたのか?全くの真実はわからない。しかし、生活のすべてと生命の限界をかけていのちの誕生に尽くしているY先生には、きっと赤ちゃんの声が届いたのではないかと思う。
僕とゆきは、岡崎でキセキをみた。戦いとドラマの連続のY劇場の中で起こる宇宙の神秘をみた。僕たちが経験したものは、「こだわりのお産」とか、「西洋医学に対する不信」とかいう簡単なものではない。僕たちはそこでみたのだ。生命がうまれるという事の真実を。愛そのものである人たちを・・・そこには、僕たちが信じる愛と真実にみちた尊くて孤高な生き様があった。日々繰り返されるありふれた暮らしの中で、己の愛と優しさを100%この世界にたえまなく注ぐ、生命である本来の人というものを見たのだ。
| 雪が降るまち | 13:04 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち7-3
 岡崎へ来てから、もう一ヶ月がすぎた。
数ヶ月前、母乳育児、自然分娩、産後の食事など自分たちの生活スタイルにピッタリの出産を求めていろいろと調べていたら、家のすぐ近所に何とマクロビオティックの助産院をみつけた。こんな大阪の下町・・・キセキのようだった。ところが安心したのもつかの間、赤ちゃんの逆子が判明、逆子は法律上、助産院では産めない。提携先の病院も自然分娩に近いものはしているが、逆子で体格の細いゆきには自然分娩は無理と言われた。僕たちの思い通りの出産ができるところはなかった。お灸、ホメオパシー、逆子体操と思いつく事をいろいろためしたが、結局逆子は直らなかった。
僕は、もう十年以上お肉を食べていない。今、お肉を食べると多分体調が悪くなるだろうし、味覚の嗜好がかわってしまったので、欲求がない。玄米と野菜中心の無添加オーガニックの食生活のおかげで、十年以上風邪ひとつひかず病院へ行くことも全くなくなってしまった。ゆきと出会って一年、牛乳も飲まず、砂糖もあまりとらず、添加物の入った食べ物を一切食べない(食べると気分が悪くなるから・・・化学調味料は、舌がしびれる。)僕に、最初はいろいろと不信を抱いていたゆきも、自分自身の体の体験を通して、食事というものが人の健康と精神にどれほどの影響を及ぼすものであるかということを、少しづつわかっていったのだ。それで、今ではお肉も食べない無添加のバリバリオーガニック生活だ。一年前までのブツブツ肌が、今では嘘のようにツルンツルンになった。
僕たちは、普通の出産がしたかっただけなのだ。現代医療で普通に行われている、一見人間の進歩のように見える医学的処置が、どれほどに母と子の絆や子供の健全な成長に悪影響を及ぼすか・・・現代文明が壊した人の心の大きさは計り知れないのだ。昔の人がやっていたような、普通の自然のあたりまえな生命の誕生をしたかっただけなのだ。
妊娠した当初からずっとお世話になっていたマクロビオティックの助産師さんに言われた・・・「あなたたちの思い通りのお産ができるところは、Y医院しかないわね・・・」その言葉を信じて、ゆきはわらをもつかむ思いで愛知県岡崎市のY医院へ向かった。Y先生に無理だと言われたらあきらめもつく・・・
「産道もめちゃめちゃやわらかい・・・バリバリの安産です。」 死にそうなほど、不安でいっぱいだったゆきの心にY先生の言葉がひびいた・・・目から大粒の涙があふれた。出産まじかであったにもかかわらず、Y先生は、快く僕たちを受け入れてくれた。この理不尽で、あたりまえの事が通らない歪んだ世界の中で、ひとつの純粋で無垢な魂がすくわれたような気がした。
| 雪が降るまち | 12:48 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち7-2
 きのうの夕方はじまった陣痛がまだつづいている。一睡も出来ないのは、本人だけでなく僕たちや助産師さんもえらい。お産というのは、本当に大変なものだ。
「お産というものがこんなに苦しいものならば、いっその事、帝王切開を・・・」と思うくらい、ゆきがしんどそうでつらい・・・母子共に順調、初産の逆子にしては、陣痛の進み方が早いらしいが、それでもとなりで見ている身にはかなりつらい。
人はなぜこんなにも苦しいお産をするのだろう?苦しみを味わいながらも、何時間も何日も何度でもお産に耐えるのか?陣痛の苦しみという大きな「陰」の裏には、きっと例えようもなく大きな喜びの「陽」がある。人生を通して味わう子育ての喜びは、きっと何にも勝るほど素晴らしく大きいのだ。それで、Y先生がいつも言うように、目先の安全や医師の都合を優先した、宇宙の調和から外れた現代医療のお産では、子育てと言う人生の最大の喜びが、きっと何割引かになるのだろう。女の人は、本当のお産を通してそこに神をみるのだろうと思う。生命の誕生の瞬間に、宇宙の神秘を知るのだろうと思う。
Y先生が、「慈悲の仏」ならば、吉村医院の助産師さんたちは、「愛とほどこしのマリア」だ!!ただただ、妊婦さんのために時間と体力の限界を尽くしてくれる。ごはんも食べずに、休憩もせずに、まるまる一晩中、ゆきのことを励ましつづけ陣痛の痛みに耐えるゆきの背中と腰をさすりつづけてくれた。我のない無上の優しさと木目こまやかな心づかい。そして、時にきびしい愛・・・Yイズムのたまものだ。
| 雪が降るまち | 07:52 | comments(0) | - | pookmark |
雪が降るまち7-1
 もうそろそろ、出産予定日から1ヵ月にもなろうかとしている・・・まわりの人たちのみならず、さすがに僕たちも少々の不安をいだく。普通の病院なら、間違いなくとっくの昔に帝王切開で赤ちゃんを出している。
赤ちゃんはいたって元気。教科書に載せたいほどの医学的数字の数々。この週にしては、よう水もまれな程きれいで量も十分。何の問題もなく母子ともいたって順調・・・
はてさて?いつ生まれてきても全くおかしくないこの状況で、いったいどうしたものなのだろう。
少々、思い当たる原因は、ゆうきと言う名前。先日、岡崎へ来る前、発見した姓名判断の事実・・・流派によって字画の数え方がちがうのだ。考えに考えたゆうきの字画はどうなのだろう?それで、他にもいろいろと調べたら、最初の決めたゆきまつの姓名判断のすばらしいこと・・・これは、もう一度考えなおす余地がある。つけた名前によって、その子の人生が少なからず変わるという名前の不思議。これは見過ごすわけにはいかない。
「神様、もし今日陣痛が来たら、最初に僕たちの願いを込めてつけた名前、ゆきまつにします・・・」そしたら、本当に夕方陣痛がきた。あー、本当にうまれる。
| 雪が降るまち | 20:49 | comments(0) | - | pookmark |
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