愛の光(おまけ)

この世の中で一番尊いものは、夫婦の愛、家族の愛です。

ふたりの愛が頂点に達するとき、死の世界とつながる訳です。
ですから、死の世界から、生の世界へ魂がやってくるのです。
つまり、生まれたての子供というのは、愛の光そのものということです。

この世界で一番強い力を持っているもの、世界を動かすことのできる力は、祈りであります。
つまり、強い祈りの力を持っている人が重要な訳です。心の思いが、知らず知らずのうちに、愛の光に届く人のことです。
ですから、こだわりや執着のある人と言うのは、それ自体が邪魔になって思いがたやすく実現されるということがありません。あれはだめ、これはだめという心が、一番物事を進まなくしているのですね。
つまり、何でもOK、が一番いいのです。

原発はだめ、添加物はだめ・・・というふりをしている人が、一番祈りの力が発揮されるのです。そういう事は、本気で思っていてはいけません。(笑)
人の幸せや社会の変革を思う心、実現される行動力は、人並み以上に強いのですが、あくまでも本気ではないのです・・・
いわゆる、そんなふりをして、生きているのです。


あくまでも、家族は、お客様です。自分の世界へやってきた、一番身近なお客様です。自分の思うようになると思ってはいけません・・・(笑)
世界で一番仲の良い、家族のふりをするのです。

ですから、この人以外考えられない、とか、この人なしでは生きていけない・・・などとは決して思ってはいけません。(笑)
すべては、今だけ・・・仮のすがたです。
ありがたや、ありがたや。

| 愛の光 | 15:05 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(12)

この世の中は、人の心がつくりだした幻のようなものです。

目を閉じれば、すべては暗闇となり、すべてのものが一瞬にして消え去ってしまうのです。目を閉じている間、世界は本当になくなっているのかもしれません・・・

 

この世界は、心こそが本当であり、実体のある世界です。

我々現代人は、世の中の物質を実体のあるもの、心はよくわからない不確実なものと考えてきました。しかし、それらは、全くの真逆であったのです。

つまり、心が作りだしている世界であるからこそ、物事は一瞬で変化し、奇跡と呼ばれるものが現れる訳です。奇跡というのは、私たちの心の選択が、神の意志と同じであるという印しです。生き方が正しいという認め印である訳です。ですから、歴史に残る聖人・聖者というのは、数限りない奇跡を起こすのです。それは、聖人の心が、神の意思、宇宙の意思そのものであるからです。

 

それでは、この幻である世界とは、一体何なのでしょうか?なぜ、心は、このような世界を作りだしているのでしょうか?

 

それは、人々が、新たな真実に気付くためです。世の中に起こる問題や課題は、その真実を知るためのヒントと言っても過言ではありません。心は、そのようにして、世界をつくっているのです。

 

世界においては、すべての物質や出来事が、人の心を新たな覚醒に導いている訳ですから、世の中のすべては愛であると言えます。そして、この世の中の根源は、光であります。つまり、愛は、光であり、根源からこの世界を照らす光こそが、愛そのものであるという訳です。人は、それを神や宇宙、創造主などと呼んでいるのです。私たち人間というのは、宇宙の愛の光に照らされ、神さまの手の中で、様々な日々の出来事を通して魂を覚醒し続けている、心という存在であるということになります。

おわり

| 愛の光 | 19:14 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(11)

賜物を与えられ、神さまに使われるというのはとても有難いことです。しかしながら、それには、その分、大きな責任が生まれるのです。

この世界において賜物を与えられた人は、それを真っ当に、十分に使いこなし、周りの人たちに奉仕する役割があるからです。

 

人を治したり、いろいろな事が解ったり、美味しい料理が作れたり・・・世の中には神さまから授かった様々な賜物を使う人たちがいます。

ところが、多くの人が、その賜物の使い方を誤っているのです。

「自分はえらい・・・自分は特別・・・」ついつい人間である以上、人と違う特別な力があると、人は勘違いをしてしまいがちです。そして、その高慢な心こそが、賜物の使い方を誤らせる原因であるのです。

正しく使われない賜物は、そこに不調和を起こします。体調や気分が悪い、上手くいかない、悩み事がうまれるなど、神さまからの印しを与えられるのです。うかうかしていると、いつの間にか、賜物が失われることに成りかねません。

 

人は素晴らしい能力を持った人に憧れ、敬意を抱きます。しかしながら、本当に素晴らしい人とは、素晴らしい賜物を授かった人ではなく、賜物を素晴らしく使いこなしている人のことを言うのです。周りの人たちを、新たな魂の覚醒に導いている人が、本当の素晴らしい人なのです。不思議な力や能力を持っていること自体が、素晴らしい人であるという事では決してありません。

 

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愛の光(10)

そんな世界を可能にするのは、ただひとつ・・・

この世界は、心が作りだした作りものであるからです。

例えるならば、人が夜見る夢のようなもの。夢の中の作りものであるからこそ、それぞれひとりひとりが主人公になれ、人の数だけ存在する人生という物語が可能になるのです。それでは、この夢のような幻想の世界をつくっている元のものとは、一体何なのでしょうか?

 

この世界の本質は、光です。キリスト、天照大神や世界の神々が、光の象徴であるのはこの真実を表しているのです。光が、この世界のすべてを作りだしているのです。

古事記に見られる神武天皇東征の神話の中で、熊野から大和へ向かう神武天皇の弓の先にとまり、ナガスネヒコをやっつけた鳥は、金鵄(きんし)と呼ばれる金色のトビであります。実は、神さまの分身であるこの金鵄の輝きは、仏や神の背後から射す背高、つまり後光と呼ばれる根源からの光を表しているのです。不思議な力をもった知人は、「神の力が宿ったものは、光って見える・・・」と言っていましたが、これがまさに神の光です。

 

つまり、宇宙の根源からのエネルギーが、直接表現されたものには、すべての根源である神の光が宿るのです。そのものと周りのエネルギーの質の差によって出来る空間の歪みから、根源の光が漏れ出ているのです。

人でも、物でも、光っている、輝いている、などと表現されるとき、それは、明らかに宇宙の根源のエネルギーが直接表現されていると言えるのです。

 

| 愛の光 | 21:52 | comments(0) | - | pookmark |
愛の光(9)

人生という物語は、自分が主人公であるとよく言われます。もちろん、主人公というのは、1つの物語に1人であるはずです。

ということは、物語が世の中の人の数だけ存在するという事です。

つまり、この世界には、人の数だけ異なる世界が存在していることになります。一体、これは、どういうことなのでしょうか?

 

私たちは、ひとつの大きな世界を構成するただ一人の存在として、この世界に生きていると考えています。それが、ごく一般的な人たちの世界観です。普段、私たちが自分の目で見、体験している世界は、明らかにひとつの大きな世界に、極めてたくさんの人たちが生活し、それがひとつの時間と空間を共有しているように思えます。

 

ところが、世界は、どうもそのようには作られていないらしいのです。

 

この世界は、自分ただ一人が主人公であり、心の選択によっていかようにでも作り変えられる奇跡の世界です。心こそが生の本質であり、目に見える世界は、心の作りだした幻想といえます。

さて、そんなことを可能にする世界の構造とは、いかなるものでしょうか?

そのような事が、はたして可能なのでしょうか?

 

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愛の光(8)

例えば、大きな悩みをかかえている人は、常にその事が頭から離れません。そして、その事を忘れられるのは、寝ているときくらいかも知れません。つまり、寝ている時が、死の世界です。また、嬉しさや楽しさで、一瞬、悩みを忘れるかもしれません。まさに、嬉しさや楽しさは、死の世界なのです。しかしながら、その時間は、ほんのわずかなあいだであり、解決されない悩みが、無くなることはありません。それを解決する事が、その人の魂にとって、必要であるからです。

 

死後の世界の1年は、この世の1000年に相当すると言われます。ですから、寝たと思ったら、一瞬で朝がやってきたように思えるのです。つまり、この世界に生まれ変わりというものがあり、人は何度でもこの世に生まれてくるのであるとすれば、50年後にもう一度この世界に生まれ変わるという事は、死の世界の時間では、2週間くらいの期間です。まして、1年以内に生まれ変わるというのであれば、死後の世界では、ほんの一瞬の出来事です。

悩みを忘れられるのは、そのくらいの時間だけで、またひきつづき、同じ問題が、環境や人間関係を変え、自分の前に現れることになります。楽になったと思ったのも束の間、寝たと思ったら、またすぐ朝が来るように、来世の苦しみがすぐにやってくるのです。

 

この世の問題は、この世のうちに・・・

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 

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愛の光(7)

人は死んだ後、どうなると思いますか?

天国、地獄、無、生まれ変わり・・・いろいろな話がありますが、人は本当のところを知ることはできません。

 

この世の中は、フラクタルな構造で成り立っていると言われます。それは、部分と全体が自己相似になっており、大は小を含み、小の中に大が含まれる。永遠の中に一瞬があり、また、一瞬の中に永遠は含まれるという概念です。

つまり、別の事柄のような2つのものが、実は鏡合わせであり、他方を構成する要素になっているということ。宇宙の構造と人体の構造は同じであり、草木の葉っぱの形状、山や雲、海岸線もフラクタルの構造をしているのです。

 

つまり、死後の世界は、この世の中のどこかに存在しているということになります。

 

人の1日というのは、人の一生に例えることができます。陽性である日の出とともに、この世に陽性としての生を受け、日が暮れると、陰性である死へ帰っていく・・・つまり、眠りこそが死である事がわかります。

 

人は誰でも、何かしらの悩み事をかかえているものです。人により、その内容は様々ですが、悩み事のない人はいないとも言えます。なぜならば、人はこの世の中に、何らかの人生の問題を解くために生まれて来ているからです。

それこそが、人が生きている意味であり、その問題が解けた人だけが、本来、生の世界を離れることが出来るのです。自分の周りに存在するすべてのものは、その問題を解くヒントと言っても過言ではありません。

 

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愛の光(6)

日本民族は、なぜ、仏教、キリスト教、神道といった様々な宗教を受け入れるのでしょうか?

それは、それらすべてが、元をただせば、古代イスラエル民族の古代ユダヤ教カバラ思想に基づくものであるからです。日本人の遺伝子は、知らず知らずのうちに、その事に気づいているのです。

キリスト教や仏教、イスラム教などを唯一信仰する多くの民族は、それ以外の思想を受け入れることはありません。日本民族は、神の本質が愛であることを知っているのです。

 

この世の中は、人の思いがつくっています。

つまり、私たち人間の思いが、現在のこの世の中の姿なのです。

なぜかというと、人類にとって、それが一番、愛を知るために都合が良いからです。

 

私たちの魂は、霊性を上げながら、何回もこの世の中に生まれ変わって来ていると言われています。愛を知るため、人は、この世の中に生まれて来るのです。

ですから、愛を知るための問題が解れば、それを解くためのヒントや環境、つまり、自分の周りにある世の中の姿、様々な事柄が必要でなくなる訳です。

すると、身の回りに存在した問題や様々な悩み、病気、ストレスといった愛の問題を解くためのヒントが、一瞬にして消え去ってしまうのです。それが、気付くという事です。ですから、奇跡というのは、神がかった特別なものではなく、自分の気持ちが起こしている事になります。自分が気づけば、物事は一瞬にして変化してしまうのですから・・・

 

世の中の様々なこだわりや常識、固定観念がいかに意味のないものかよくわかります。物事を解決し、思いを実現させるのは、そのようなものではなく、唯一、自分の心であったからです。それには、愛を知ることが一番なのです。

私たちの心の中にある愛は、つかみどころのないものの様に思えます。

愛とは何かと言えば、簡単に答えられるものではありません。

ですから、愛を知るには、まず、自分の愛を表現しなくてはなりません。愛が形になってこそ、人はその姿を見ることができるのです。自分の愛が相手に伝わり、その人の心が愛で満たされるのを見る時、人は初めて、自分の愛というものの姿を目で見、心で感じることが出来るのです。つまり、相手が鏡となり、自分の愛を映してくれる訳です。もちろん、反対に、エゴを映してくれるからこそ、人はそれに気づき、心を改めようと思うのです。

 

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愛の光(5)

仕事において重要なことは、何を届けたいかという事です。

自然な食べ物を人々に届けるというのは愛であります。

しかしながら、僕が届けたいものというのは、自然の食べ物ではありません・・・

 

世の中には、世界中でその人にしか出来ないというものが必ずあります。

つまり、誰もが、その人独自の愛の賜物を持っているのです。

 

愛は、人の遺伝子に影響を与えます。愛というのは、眠っている膨大な量の遺伝子を覚醒させる力があるのです。

仕事において、誰に何を届けるかということを考えるとき、その人の愛の波動は、それと共鳴する遺伝子に影響を与えます。つまり、世の中において、人は、何かをすれば必ず誰かに影響を与えているのです。そのやり方は様々、人それぞれであり、愛の波動の種類が違うだけです。

 

自分の天分を見定め、愛の賜物をしかるべき人たちに届けることが、魂が肉体を得、努めるべきこの世の中の役割であるといえるのです。

 

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愛の光(4)

人生にとって一番大切なことは、心が楽しいかどうかです。

一番大切なものがお金と思う人は、お金を得る事によって楽しさを得られるという価値観から来ているのです。しかしながら、お金持ちの多くが、人生の最高の至福を享受しているのかといえば、そうでないことは明白です。

 

確かにお金があれば、自分の欲望が満たされ、幸せと感じるかもしれません。しかし、それが心の満足かと言えば、本当のところはそうではないのです。本当の幸せというのは、誰かに愛を届けたことによる、神さまからの領収書の合計であるのですから・・・

 

若い頃は、僕自身も、仕事での成功とか、名声に憧れたこともありましたが、今では、毎日楽しく、愉快に暮らせれば何でもいい・・・と思えるようになりました。もちろん、お金に苦労するのは楽しくありませんから、普通に生きていく程度の収入があれば、それで十分なのです。

 

当たり前が通らない現代社会において、愛に生きるという事は、ある意味相当の勇気と覚悟が必要です。誰かに愛を届けることによって、人生の至福を得るか、一般的な幸せを得るかは、個人の選択次第です。

 

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