愛と神(7)

世の中というのは、自分自身を映す鏡のようなものです。神道の三種の神器のひとつである伊勢神宮のやたの鏡は、まさにそのことを表しています。世の中の理(ことわり)を表しているのです。世の中が鏡であればこそ、そこに本当の自分というものが映るのです。それを心の目で見ることによって、自分自身に気づき、心を改めることができるのです。これが、日本神道の八百万の神の思想です。それに気づくとき、人はすべてのものに感謝する心が生まれ、そこに大いなる神さまの意思を発見し、心の中に神さまが宿るのです。心の中に、自分の神さまが生まれるのです。つまり、日本人というのは、心の奥に神性を持った民族と言えます。

 

それは、現代社会が、物質文明であり、知識と先端科学によって世の中が動かされると信じる現代人の中にあって、非常に稀な人たちであると言えます。稀であるからこそ心の神性を信じ、世界を変える力として、魂が目覚めるときを望まれるのです。世界を変えるというのは、何も地球上から戦争を無くすということではありません。私たちは、隣にいる大切な人の心に、小さな心の灯をともすことができるのです。実は、それがすべてのはじまりです。そういうものが積み重なって、やがて世界の流れが変わっていくのです。

「世界を変える」というのは、本当は、人の心に灯をともす事以外の何ものでもありません。

 

 

灯り

 

暗闇を手探りで何かを探していた

遠くにかすかな灯りがみえる

近づくにつれ 僕の心にほのかな灯りがともった

 

まわりを見渡すと暗闇に無数の心があったことに気づく

ほのかな灯りがまわりを照らし ひとつの心が息を吹き返す

灯りの連鎖がいつの間にか大地いっぱいに広がって

あたりは灯りにつつまれた

 

ずっと変わらず 楽園がここにあったことを知る

(おわり)

 

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愛と神(6)

物が人の欲を満たす「もの」から、人の心を癒す「もの」へと変化する新しい時代。

食べもの、作りものは、私たちの生活と心地よい暮らしにとって、大変重要な存在となってきました。それらは、人の心の覚醒に大きな影響を与えているのです。

 

世の中には、仕事や活動を通して、心の愛を世界にそそいでいる人がたくさんいます。それは、使命感や努力や義務感からではなく、何とも言えない楽しさや幸せ感があるからです。楽しく日々を暮らし、自分を表現することによって、愛は自ずと人の心に流れ込んでいくのです。やがて人の心は愛で満たされ、心の闇が消えます。天照大神やイエス・キリストなどの世界の神々が、太陽神・光の象徴であるのはそのためです。

 

日本人は古来より、太陽に手を合わせてきました。そして日本の国旗は日の丸。まさに、太陽そのもの・・・実は、私たちは、誰もがそのことを心の中でわかっているのです。

心の闇を照らす光が人を幸せにし、それが、まさに愛というものであるということを。

 

心の闇は、親の教育、家庭環境、人間関係、前世の記憶によってつくられます。しかしながら、それは、ただの影であり、心の意思によって消し去ることができるものです。実は、心の闇というのは、ただの思いこみなのです。なぜならば、人生において、多くの人間の心の闇が、何らかのきっかけで一瞬にして消え去っているのですから・・・

 

それは、自分の中の神さまを信じることです。心の闇に光があたるとき、今まで見えなかったものが、自分自身の目の前に現れます。それを拒絶するのではなく受け入れることです。そうして、心の闇は少しづつ消え去り、光に満ちた愛の心へと変わっていくのです。それが、心の覚醒、霊性を高めることに他なりません。

 

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愛と神(5)

「人事を尽くして天命を待つ」という中国の故事があります。

天命とは、天職のことです。神さまから授かった、まさに賜物です。

しかしながら、賜物を授かっているとはいえ、神さまは挑戦者にしか叡智を与えないのです。日々の生活の中で、常に自分自身と向き合い、戦いながら霊性を高めている人にしか新たな叡智は与えられません。並々ならぬ才能を与えられながら、それを最大限に活かし切れない人が世の中にはたくさんいます。

 

人は、自分を表現することによって、誰かに何かが届くのです。心の中が100%愛で満たされている人を、歴史は聖人・聖者と呼んできました。しかしながら、我々は、心の中に愛とエゴが同居しているのが現実です。つまり、日々の生活の中で自分を見つめ、霊性を高めることこそが、エゴを少なくし、愛にあふれる心をつくるのです。そのためには、まず、心の中に自分の神さまを見つける必要があります。自分を本来の自分自身へ導いてくれる大いなる何か・・・人の言葉や常識、固定観念に惑わされない心の芯のようなもの。人は判断基準の間違いで、意図しない思わぬ方向へ行ってしまうのです。他人の意見やスピリチュアルなアドバイスは、あくまでも参考程度にするべきです。宗教や精神世界に頼る人というのは、自分の中に神がいないので、意識が内でなく外向きになり、どうしてもそういうものに頼ってしまいます。それを依存といいます。それがなくては生きていけないのです。本来、人は自分の力で立って歩いてゆけるものです。極端な言い方をすれば、自分以外のものがすべて暗闇であったとしても、人は歩いてゆけるのです。なぜならば、本当は、世の中には自分しか存在していないからです。突き詰めれば、その自分自身も存在していなかったことに気づくのです。また、いわゆる人を導くような存在の方は、相手が自立して歩いて行けるようにすることが神の道です。ところが、現状では、依存させることが目的になっている場合が多くあります。そのようなところで現れる奇跡は、愛ではありません。

 

病気の人や、悩んでいる人、苦しんでいる人というのは、自分の神を見失っている人です。ですから、一時的にそういった他人の力を借りることも必要ですが、やはり一番大切なのは、自分自身なのです。自信過剰は問題ですが、自分が好きでない人というのは、どこかで自分の中の神さまを裏切っている人です。自分の中の神さまの存在に気付き、感謝の心が生まれれば、おのずと自分自身がいとおしく感じられるはずです。自分が好きというのは、自分の中の神さまに感謝している現れです。自分の中の神さまを信じなくては、物事はうまく運ばないのです。

 

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愛と神(4)

本来、愛はさりげないものです。

さりげないからこそ、人の心に深く刻み込まれるのです。

 

世の中には、命をかけて何かに取り組む人、あまりにも力が入りすぎている人、活動が、自分の存在価値になっている人がいます。押しつけがましい人、上から目線の人・・・どんなに素晴らしい思想や活動でも、そこに自分のエゴが入ってしまうと、愛は、人の心に届きません。心に届かない愛は、結果的にエゴとなってしまうのです。反発や拒絶、心の壁が生まれてしまい、本来の思いとは正反対の結果になってしまいます。

 

古来より、天皇は預言者でした。預言者とは、未来を予言するということではなく、神さまの言葉を授かる人のことを指します。

預言者である天皇の言葉、「御言葉(みことば)」とは、本来さりげなく、さりげないからこそ、国民の心にすーっと、刻みこまれるものであったのです。

 

愛とは、シンプルなものです。難しいことではなく、誰もが知っていることです。知識としてでなく、心の奥でしっかりと、その言葉の本質を理解するかどうかのちがいです。心の奥に刻み込まれた言葉というのは、必ずいつか、それを本質的に理解するときが訪れるのです。

 

愛の計画は、人それぞれにちがいます。その人にとって、最良の時、最良のタイミングで、物事が動くように最初から計画されているのです。

自分のエゴで決めるのではなく、神さまの愛で決められる物事というのは、すべてがスムーズで無理がありません。最良のタイミングで物事が進みます。

 

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愛と神(3)
 愛は、日々の生活の中で表現されます。

仕事であったり、言葉であったり、行動を通して・・・

中でも、ワクワクするような仕事・活動というのは、愛そのものであると言えます。神さまから授かったまさに、愛の賜物(たまもの)です。

 

人には誰でも、神さまから与えられた天分があります。それは、「賜物」とよばれるものです。賜物は、まさに、愛そのものなのです。

人がこの世の中で、賜物を表現するとき、人は、至福を味わうのです。神さまが、その人を祝福しているからです。

賜物は、人の心に深く、強く響きます。人は、賜物によって心を開き、愛に目覚め、魂が覚醒するからです。同じ振動の音さが共鳴しあうように、愛が、人の心を満たしていくのです。

 

世の中には、様々な価値観を持った人々が存在します。そして誰もが、自分自身の賜物を表現することによって、愛の振動を誰かに届けることが出来るのです。幸せとは、愛の振動を誰かに届けた、神さまの領収書のようなものです。

 

自分の思いが、愛から来ているのか?エゴから来ているのか?人は常に、自分自身に問いかけてみる必要があります。世の中に愛が表現されるとき、物事の全てが調和するのです。人は、それを奇跡と呼びます。反対に、エゴは、不調和を起こし、物事がうまく運びません。自分の行動が、正しいか正しくないかの判断は、実は瞬間瞬間、その答えが出ているのです。

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愛と神(2)
自己奉仕という言葉がありますが、自己奉仕とは、マザー・テレサのようでなくてはいけません。マザー・テレサは、貧しい人たちを助けることが自分の喜び、心の幸せだったのです。しなくてはいけないという義務感、したほうがいいという正義感は、愛ではありません。「そういう自分になりたい・・・」いう欲が、そうさせているのです。楽しくない自己奉仕、他人を責めてしまう自己奉仕は、愛ではありません。どちらかと言えば、なぜこんなことをしているのかわからない・・・とか、自然とこのような状況になってしまった・・・という方が、愛に生きていると言えるのです。

 

いつも笑っている人、楽しそうな人というのは、こちらの心までホッとします。自分が、もし、そうでないのであれば、どこかで自分の神を裏切っているのです。うつ病というのは、その典型です。自分自身を信じることができないので、ついつい周りや世間の常識、固定観念に流され、自分の本当の思いの逆方向へ行ってしまった人です。自分の本当の思いに従えばよいだけなので、うつ病は病気とはいえません。ところが、薬を使ってしまうと、精神が錯乱してしまって、余計に本当の自分の心がわからなくなり、取り返しのつかない事になってしまうのです。

 

プライドの高い人というのは、自分の中の神、本当の自分の思いを知らない人です。自分の神が見つからないので、地位や名誉、物質の豊かさに目を向け、自分自身の存在理由を守っているのです。本当は、自分自身に自信がない人です。自分の神を心の中に持っている人は、それだけで満たされていて幸せそうです。神さまが、自分を、本当のあるべき場所へ導いてくれている事を知っているからです。

 

しかし、欲がない人はいないというのも事実です。欲があるからこそ、何かに気づく機会が訪れ、自分自身を改めようと思うのです。自己奉仕と自己犠牲は、表裏一体です。いくら他人が喜んだとしても、自分を犠牲にし、自分の神を裏切りつづけているのですから精神がおかしくならない訳がありません。自己犠牲を愛と勘違いしてしまうことがたくさんあります。

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愛と神(1)

愛が、誰かに届くとは、どういうことでしょうか?

 

人は、生きていれば、呼吸をし、言葉を発し、行動します。

毎日毎日、人は心の意思にもとづいて、人生を生きているのです。

 

さて、意思とは何でしょうか?

心、自分の気持ち、魂、エゴ、神さまのみちびき・・・

心の中から、湧き出ては消えていく人の思いとは、何とも不思議なものです。

 

実は、私たちの気持ちというのは、神さまの愛と自分自身の自我(エゴ)という2つの思いが、混ざり合ってできているのです。例えるならば、愛の民族である葛城氏と自我の民族である藤原氏の葛と藤から、「葛藤」いう言葉ができているように、人の心にも、愛と自我のせめぎあいが存在しているのです。(実際は、天津神と国津神であり、本来同族であります。)

 

ちなみに、ここでいう神さまとは、宗教的な神さまとか、目に見える神さまということではなく、我々人間を正しい方向へ導いてくれる大いなる何か、偉大な存在という意味です。神、仏、天照大神、イエス・キリスト、宇宙・・・何と表現してもいいのですが、ここでは神さまという言葉を使います。

 

愛は、私たちの日常生活で、この世の中にどのように現れるかというと、楽しさ、ワクワク、感動、気持ちいい、幸せ、奇跡というものが、愛エネルギーが、この現実世界に表現された証であるのです。それらは、自分自身の生き方が正しいという神さまの証明書といえます。

反対に、自我は、苦しい、悲しい、病気、ストレス、恐怖、不調和といった現象で現れます。その時、人は、神さまからの警告を受け取っているのです。つまり、それらの現象というのは、自分自身を改めるサインであり、大きな意味では、これらも、愛の一部と言えるものです。

 

つまり、世の中というのは、すべてが愛でできているということがわかります。

 

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愛と神(まえがき)

日本人というのは、まぎれもなく、古代イスラエルを追われたユダヤ民族の末裔です。
愛の遺伝子を宿した、世界でも稀な少数の人たち・・・古代ユダヤ人は、神との契約により、長い歴史の中で、時の支配者によって常に貶められながらも、神に守られてきました。

そして、現代という時代も、まさに、世界の支配者が一層の支配を進めていくこれからの時代。
我々は、どう生き、日々を過ごしていけばよいのでしょうか?

日本民族と言うのは、心の奥で愛と神を知っている人たちです。
「日本の夜明け」で述べた、愛とは何か?神と何か?
「愛と神」の中で、記述しようと思います。

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