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古来より、日本という国は宇宙とつながってきた国でした。
アカシックとは、なにかというと、宇宙の意思、神の意志・・・
日本が神の国として、世界に知られているのは、そのためです。
人は、神と一体となることによって、その意思を知り、宇宙のすべてを知ることが可能なのです。まさに、アカシックレコードにアクセスするということです。
長い歴史の中で、日本人はそうして、自然と調和し幸せに暮らしてきました。しかし、現代は、様々な理由によってそれができない状況に置かれています。自分自身の中に神を取り戻し、宇宙とアクセスし、神の叡智をこの世界に下ろし示すことは、これからの新しい時代に必要不可欠な大切な事柄といえるのです。
さて、どうすれば神とつながることができるのか?現代人に今必要な要素は何なのかというと、女性性の解放と、女性性と男性性の融合です。本来女性というのは、宇宙とつながり神と一体の存在でした。歴史上の巫女、卑弥呼などは神の神託、宇宙の叡智をこの世界に下す役割でした。また、神道の最高位である天皇陛下というのは、古来よりそうして、日本という国を平和に幸せに導き続けてきたのです。「令和」になった今、そうした古来より何千年と続く天皇陛下の役割が、無事に引き継がれたことは、私たち日本国民にとってこの上ない喜びであるのです。
女性性は、ある時代から宗教によって、歪められてきました。本来の神聖さと美しさが歪められ、間違った世界観が蔓延してしまったのです。ある意味、時の権力者は、女性性の偉大さ、凄まじいエネルギーを知っていたからこそ、女性性をこの世の中から封印したのかもしれません。性を欲望のもの、良くないものと貶め、魔女狩りなどに代表される、宇宙の叡智を秘めた女性を弾圧しました。そうした世界に警笛を鳴らしたのが、ジョンレノンとオノヨウコであり、男性と女性のつながりの中に愛があり、宇宙のすべてがあることを示したのです。トム・ケニオン著「マグダラの書」にもあるように、イエスキリストが、この世界に愛を広め、様々な奇跡を起こしたのは、実は、妻であるマグダラノマリアのおかげなのです。マグダラノマリアは、キリストとの関係の中で、クンダリーニのエネルギーを使い、キリストの生体エネルギーを極限まで上昇させました。そして、キリストは、聖人となったのです。つまり、女性性が内包する生命エネルギーとは、言い換えれば宇宙エネルギーであり、この世界を形作っている愛そのものなのです。
私たちは、今、神を思い出す時期に来ています。そして、それは、女性性を思い出すことからはじまります。
以下、「永遠の一瞬」より抜粋
僕たらの体のつながりとは、まるで瞑想のようでした。欲ではないのです。目と目を見つめ合った瞬間に、何かがふたりをひとつにするのです。体はもはや心の確認に過ぎないのです。ふたりの体の中を何か尊いエネルギーが循環して爆発するような、稲妻に打たれたような感覚が永遠のようにつづく一体感の中、体の感覚が消えていく・・意識さえも消えていく・・そして、ふたりは光になったのです。この世の本質を見たのです。永遠を見たのです。
ふたりの魂がかさなる度に、空からの尊い何かが魂を洗うようでした。この世に奇跡を起こすのです。思った事が、その日の内に現実になるのです。物事が出来すぎているのです。この現実は、ウソっぼい・・ドラマよりもウソっぼいのです。どうして、行く先々でこうもラッキーが起こるのか?一発で探し物がみつかるのか?すぐ願い事がかなうのか?悪かった体調が瞬間的に回復するのか?ふたりの表情は、幼い子供のような無垢で尊い幼な顔になっていました。いつも、目の行くところがいっしょ、メニューを見れば、ふたり同時に百発百中で、最良の選択をするのです。駐車場が突然あいたり、レストランで最高の席があいたり・・こんな事、いつもいつも明らかにありえないのです。
違く離れていても相手の事がわかるような気がしました。相手が自分のことを考えているのがわかるのです。意識が遠くから飛んできて、その度に魂が感じるのです。ふたりの心と体は、何処かの宇宙で深くつながっているようでした。
明日もあさっても、たぶん今日と同じような一日が繰り返されるであろう僕たちの日々の生活。しかし、運命のふたりにとっては、明日、何が起こるか全くわからないのです。心が、あらゆる可能性の明日をつくるからです。ふたりにとって、世界はまさに今しかないのです。今をどう生きるかこそが、素晴らしい明日へつながっていくのです。一瞬に永遠を感じ、永遠につづく一瞬を今、生きるという事。
魂の片割れが、怠惰で平凡な日常生活を生きる喜びと奇跡に溢れた毎日に変えてしまいます。僕は、自分のまわりにある、あらゆる物を捨てました。世の中で素晴らしいといわれるものをはるかに越える大切なものを知ったからです。その代わりに、本当の自分らしさ、生きるという事、この上ない人生の喜び、愛、真実、永遠と一瞬を得ました。人は、何かを捨てるという事がなかなか出来ないものです。なくす事がおそろしいのです。しかし、勇気をもって、心の喜び、心が求める本当の気持ちに忠実に生きるとき、人生はあっという間に変容するのだと思います。世の中というのは、何でも起こるのです。自分の心次第で、人生は何でもありなのです。常識を捨て、自分自身を信じさえすれば、不可能な事はないのだと思います。
自分が変われば、まわりが変わり、人々の意識が変われば、世界は一瞬で変わるのです。愛と真実を、世の中の誰もが心の中に実感できるのです。永遠につづく一瞬の連続を、今、生きること。この一瞬に永遠が存在することを心の奥で知るのです。
「生きる」とは、誰かを愛する事。恋愛の愛ではなく、己の存在にかけて、世の中に無償の愛を注ぐということ。誰かの喜びのために、心を尽くすということ。自分らしさの精一杯の表現こそが、愛なのです。
人は、まるで旅人のようなもの・・この世の中をいつも心で感じながら、もくもくと生きている心の旅人。
人の心は宇宙・・人との関わりが、心をはるか遠くへと連れていきます。求める心が必然に、心の友を引き寄せるのです。運命の出会いにこそ、すべての始まりがあります。人との真剣な関わりの中で、愛と真実が生まれて、心の旅がはじまっていくのです。ふたりの心の宇宙を旅していたら、はずれのはずれへ行ってしまいました。そこには、何も存在しなかったのです。時間も空問も、生きている意味さえなかったのです。 しかし、この世のすべてがありました。ただ、質量をもたない一瞬が永遠につながっていたのです。僕たちは、そこで世界の本質を見たのです。この世の中で、本当に大切なものは、愛と真実だけでした。この世の中は、幻想のようなもの・・人も街もあるようでない。人の心がつくり出した幻のよう・・
僕は、今もこうして生きています。彼女が自分にしてくれた事を人にしているのだと思います。それが、僕が今、こうして生きている必然であり、我があるという事です。己を殺し、家のため仕事のために心を削り、本当の自分らしさをなくしていた心が、本当の自分を取り戻したのです。本物の心の自由・・自由な心は、何処にでもいけるのです。人の心の中にでも、宇宙の果てまでも・・それが、僕が得た人生最大の宝物です。最高の幸せなのです。
本来、人の心は自由なものです。幸せなのです。 悩みなんてないのです。そんなものがほんの少しでも、誰かの心に届くといいなーなんて考えながら、日々を今日も生きているのです。
以上、「永遠の一瞬」より。
精神的にも、物質的にもぼろぼろだった昔のことを考えると、今は、すべてが満たされていて、素敵な家やありがたい仕事があり、理想のパートナーがいて、ほしいものがそこそこ買えて、人生で一番楽しいのは、すべてクンダリーニのエネルギーのおかげだと思っています。かつては、ツインソウルとの体験でしか得られなかったような快感と宇宙の神秘が、ひとりでも体験できる時代になってきたのです。なんと、素晴らしいことでしょう。もはや、すべての人々がカルマや人生の悩みを超えて、楽しく幸せに心地よい暮らしを実現できる時代なのです 。そしてそれにはまず、セクシャリティーの正しい再認識が必要なのです。
世界中で行われていた金融緩和が縮小の方向に動いています。
これは、ある意味世界経済の動きが最終段階に入ったとも言えるのです。
すなわち、新しい経済秩序が構築される壮大な計画が大詰めに入ってきたということです。
また、世界ではベーシックインカムが議論されています。これは、私たちの生活のすべてを政府にまかせるということです。
国民の事を真に思う素晴らしい指導者の元でのベーシックインカムはまさに理想の世界です。
しかし、現実は、それらとは真逆の方向に動いているのが現代社会です。
食料、水、電気、貨幣・・私たちの生活に不可欠な大切な要素の多くが、改悪どころか壊滅的な打撃をうける可能性が高まっています。それは、なぜかというと、それが、世界経済が進めている巧妙な流れのひとつだからです。
実は、日本の政府が悪いのではないのです・・・原因は、世界経済の指示、それだけです。
今、現在、私たちの生活がいくら快適であろうとも、何らかの準備をはじめなくてはいけないと考えています。
近年中に、郊外の自然の中で、なるべく世界経済や世界情勢に左右されないような自給自足的な、かつ現代的で快適な新しい生活スタイルを作り上げる必要があると考えています。
今から、約4000年前、人々の心は堕落し、よの中に戦争が蔓延しました。それで、神様は、よの中をもういちどつくりなおすことをきめ、心のきれいなノアに大きな箱舟をつくるようにいいつけました。ノアのかぞく7人と、動物たちがのりこみました。
ある日、大嵐がおこり、大地はすいぼつし、世界のすべてのものがなくなってしまいました。150日続いた嵐はおさまり、ノアの箱舟がアララトさんに漂着しました。
ノアには三人の子供がいました。その名をセム、ハム、ヤフェトといいました。セムはアジア人の祖、ハムは黒人の祖、ヤフェトは白人の祖となりました。
神様は、心のきれいなセムに神の神権を与える約束をしました。
うそをつかず、きよく正しく、人のために愛をつくして生きること。神様は、セムの子孫を永遠にまもるという約束をしました。・・・それを、神との契約といいます。約束のあかしに、神様は、セムの子孫に三種の神器をあたえました。それらは、アークという契約の箱の中におさめられ、古代イスラエル大国の神殿におかれました。
セムの子孫のそのまた子孫のそのまた・・
アブラハムのむすこ、ヤコブはある日、神様と、夜通し格闘をし、神様にかちました。それで、ヤコブは神様から、イスラエル(かみとたたかうもの)という名前をもらい、彼の子孫はイスラエル人とよばれるようになりました。
「なげつけよ。やっつけよ。」をヘブライごで、ハッケヨイ。「なげたぞ! やったぞ!」をノコッタノコッタ、といいます。
ヤコブが神様と、夜通し格闘したできごとが、日本の大相撲、中でも、各地の神社でおこわれる春と秋の神事、一人相撲の起源となりました。
紀元前722年、アッシリア帝国によって、古代イスラエル帝国は、滅亡します。人々は、シルクロードを通って東へのがれました。そして、とうとう、極東の島国、日本に到着したのです。
以来2000年あまり、人々と三種の神器、そしてそれが入った契約の箱アークは、ずっと海にかこまれた島国で、まもられつづけたのです。人々は、古代イスラエルの輝かしい栄光と思い出をたたえ、この国がふたたび繁栄し、平和がずっとつづくことを祈って、町の名をヘブライ語で「イル・シャローム」平安のみやこ、平安京と名づけました。つまり、古代イスラエルの都、エルサレムの名をこの国の都の名前としたのです。
そして、今でも、ノアの箱舟が、アララト山に漂着した日、日本の旧暦7月17日を記念して、山に火をたき、大の字二つ(ヘブライ語でアーメン=てんのかみさまの意味)、を神にささげ、舟形(ノアの箱舟の形)を山にあらわします。
神様は、アジア人の祖、セムと契約をして、子孫を永遠にまもると約束しました。
天皇陛下と神社の宮司さんが、日々おこなっている神道の神事は、まさに神の神権そのものであり、日本という国が、世界で唯一、2000年ものあいだ、滅びることなく平和にに存続している理由にほかなりません。三種の神器は、天皇陛下の三種の神器として、契約の箱アークは、神社のお祭りののおかぐらとして、現在も、わたしたちにひきつがれているのです。
日本が、世界から、神の国といわれつづけている本当の理由がここにあります。
わたしたちには、清く正しく、他人ををおもう、愛のこころを、世界の人々にむけ、発信するという神様との約束が、いまもずっとつづいているのです。
家業を立派に継げなかった若い頃、
しかしながら、物質的に無くしたものが大きかった分、新しく得た精神の覚醒もたいへん大きなものでした。
これはたぶん、庄屋の息子として生まれ、親との確執から家を出て出家した前世の記憶と重なるものであると思っています。
亡き父は、まさに周りの人たちに愛を施す愛の投資家・・・
こんな神さまみたいな人が世の中におるんか・・とずっと思っていました。
そして今、ずっと拒んできた新たな次元の愛の投資家への道・・・
愛とお金を、この世の中に、この世界に愛を作り出している人たちに注いでいく。
今までは全く真逆の世界だと思っていた物質文明のど真ん中を受け入れ、
それらのエネルギーを愛のために使っていこうと思います。
第4回あべの王子みのり市、終了しました。
中でも、皆さまの願い事をちびっこヤタガラスが神さまのもとへ届ける神事、「ちびっこヤタガラスのマーチ」は、印象深く、感動的でした。
http://blog.minori-ichi.net/?eid=79
2014あべの王子みのり市の出店者を公開しました。
みなさん、とても素敵なお店や作家さんばかりです。
どうぞ、お楽しみに・・・
http://minori-ichi.net/shop.html